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LGBTと「公」の使命

同性婚をめぐる荒井勝喜元総理秘書官の「オフレコ発言」をめぐって、賛否両論の議論がわき起こっていると書きたいところですが、あまりの知性のない下卑た発言には猛批判が起こっています。品性のひとかけらもないその言いぶりは、昨今の官僚の劣化ぶりをも象徴的に表しており、暗然たる気分に襲われています。しかしこの問題は冷静かつ多角的に考える必要があるのではないかとも思います。(アイキャッチ画像は、Job Rainbow より拝借)

1.荒井発言と「公」の崩壊

わたしは荒井元秘書官の「同性婚、見るのも嫌」発言を知った時、これほど言語能力の乏しい人物が官僚になれるのか、しかも首相秘書官という重責を担っていたことが信じられませんでした。

岸田総理はすぐさま更迭を決めましたが、表現の仕方は違っているとはいえ、総理の国会答弁と荒井発言とは主旨としは全く同じです。しかし総理の国会答弁に対しては、批判も出たとはいえ、荒井発言に対するような猛烈な批判の噴出はありませんでした。

岸田総理の発言は、自民党のかねてからのほぼ公的見解に近く、誰も驚かなかったのだとは思いますが、両者の発言に対するマスコミや国民の反応の違いは余りにも大きい。両者の違いは何故なのか。

荒井氏には、自分の感情を濾過する知性が一かけらもなかったということ。さらにいえば、荒井氏には感情を濾過する常識すら備わっておらず、感情をむき出しのまま吐き出したこと。これが怒りを買った最大の理由だと思います。

オフレコ発言とはいえ、家族やごくごく親しい友人相手の会話ではありません。首相秘書官という職務上の立場を自覚していたのであれば、そして何よりも社会人としての常識が備わっていたのであれば、これほど品性のひとかけらもない発言は100%ありえなかったはず。

この発言に我々が強い衝撃と怒りを感じたのは、発言の内容もさることながら、常識のひとかけらもないような人物が、政府中枢の高官であったという事実に対する絶望に近い怒りに由来するのだと思います。

しかし問題は荒井氏個人に留まるものではありません。こんな人物を抜擢した岸田総理にも、その責任が及ぶことはいうまでもありませんが、昨今、官僚によるこの種の下劣な発言は頻発しており、それが国民の絶望をさらに深めていると思います。

と書きながら、わたしはかねてからの疑問がゆるゆると解け出す感触をも感じています。というのは、就任以来、批判されてきたご長男の岸田翔太郎首相秘書官による常識はずれの行状と、本事件とがリンクすることに思い至ったからです。

岸田総理は、長男を首相秘書官に抜擢したことで公私混同、官邸の私物化だと批判されてきたわけですから、通常ならば、批判を浴びないように言動には極力気をつけるはずですが、ご長男(=総理)は批判などどこ吹く風とばかり、外遊先で公用車を使って観光するという、前代未聞、前例のない総理の息子特権を編み出して堂々と行使。その非常識きわまりない感覚は、全く理解できませんでした。

しかし、世間の常識は存在しないというのが官邸の常識になっているということが分かれば、現象としてはその非常識世界の存在は理解することができます。赤の他人の総理秘書官が同じような行動をしてもほとんど問題にはならないケースでも、総理の身内の場合は公私混同のそしりは免れません。

これこそが、公私の別の根本原理ですが、岸田親子にはこの基本原理=常識が理解できないようです。この常識が理解できないということ自体、我々には理解不能。

安倍・管政権以降は、忖度度の高低で官僚を評価してきましたので、8年以上経った今や、日本の役所は忖度度ヒエラルキーに覆われているはずです。総理・政治家≧官僚という、不等号が示す構図が固定化し、政治家の質の低下が、そのまま官僚の質の低下として即映し出される体制になっているということです。絶望的にならざるをえないゆえんです。

管前総理のご子息は、民間人でありながら父親の威光を利用して、官僚=公権力を私的に利用するという特権を、長年に渡って行使してきました。これも前代未聞、前例のない公私混同の特権行使です。

安倍元総理にはお子様がいなかったので、似たような事例はなかったとはいえ、犯罪的集団(=旧統一教会・ジャパンライフ)を、公権力を使って庇護するという大罪を犯しています。つまり日本は、政府中枢から腐りつつあるということです。

世界の五輪史上例のない東京五輪をめぐる汚職(公権力の私物化)の数々も、日本政府中枢を穿つ腐食の深さを象徴しています。唯一の救いは、この前例のない汚職の深い闇の全貌が、今、我々の前に明らかにされつつあることです。

旧統一教会に対しては、岸田政権は質問権行使を繰り返すことでその悪事を暴くポーズだけは見せていますが、単なるポーズだけで終わりそうな気配。質問権行使という茶番を繰り返さずとも、教会の違法を認定した裁判結果だけでも解散命令は出せるはず。

旧統一教会という、歴代の自民党政権が生み出した、恐るべき怪物的遺物を除去する意思がないのであれば、岸田総理は総理の座に留まるべきではありません。

2.LGBTと社会の変化

岸田政権並びに歴代自民党政権はこれまで、LGBT差別撤廃に関する有効な政策は打ち出していません。社会が変わる、家庭が壊れる、価値観が変わる等、夫婦別姓反対と同趣旨の理由を並べていますが、日本社会はもうとっくに壊れていますよ。

政府も株主で、官僚も役員に送り込まれていた郵便保険では、多数の高齢者から巨額の資金を騙し盗っていました。民間の保険会社では前例のない、高齢者という究極の弱者をターゲットにした組織的詐欺犯罪が行われてきたわけです。

20年ほど前までの日本では起こりえない組織犯罪ですが、有り金を巻き上げるというその手口は、統一教会やジャパンライフの集金手法とそっくりです。高齢者でなくても、不安にかられた人間は非常に弱い。弱者そのものです。

強きをくじき、弱きを助けるというのが、日本人の、もっといえば日本の庶民に受け継がれたきた日本人的心性でした。忠臣蔵の根強い人気を支えてきたのも同じ心性、判官贔屓(ほうがんびいき)とも称される、弱者や敗者を助けたいという日本人的気質でした。

しかしここ20年余りの間に、有史以来(「魏志倭人伝」に記載された頃から)受け継がれてきたこうした日本人的気質は、一気に瓦解してしまいました。

準公的機関である郵便局による集団犯罪は、日本の現在地を端的に象徴したものだと認識すべきです。これほどの社会的変質、日本社会の価値観の大瓦解は、敗戦によってですら起こっていません。

敗戦後の日本は、むしろ古来から受け継がれてきた日本的美質を発揮して復興を成し遂げてきました。復興しすぎて(経済成長しすぎて)、欧米からはエコノミックアニマルなどと揶揄されながらも、弱者を食い物にして肥え太るという価値観が市民権を得るような時空は、どこにも存在していなかったということだけは、強く断言します。

しかしわずか20年余りの間に、日本は弱者を平然と食い物にする勢力が力を持つに至りました。弱肉強食とは、言葉としては古くからありましたが、日本でそれを地で行く社会が堂々と姿を現すに至ったのは近年のことです。

弱者を食い物にする勢力が公的な庇護を受けるにまで至った、これほどの社会的変質、価値観の瓦解の旗振り役を果たしてきた自民党が、社会が変わる、価値観が壊れることを理由にLGBT差別禁止に反対するとは全く理解できません。彼らはいったい、どんな社会、どんな価値観を守ろうというのでしょうか。

LGBTにも様々な段階があるようですが、先天的な性同一障害などに苦しんできた人たちにとっては、差別撤廃は当然すぎる要求だと思います。経験者の手記などを読むと、特に幼い頃から感じてきた自分自身に対する違和感や、他者から向けられる差別などに苦しめられてきたことは、個人レベルでは解決できないことは明らかです。

個人の責任に帰すことの出来ない事情で、心と体の同一性が阻害されてきた人たちにも、国民としての権利を保障するのは政府としては当然の責務ではありませんか。

とはいえ、確かに、同性婚夫婦が何らかの形で子どもを持つことも想定されますので、同性が両親となりうる場合などは、従来の結婚や家庭の形態が変わることは避けがたい。しかしこの変化は、従来の形態を拡張するものであり、社会そのものを破壊するものではないはずです。

また、同性愛に付随するマイナスイメージとして性の乱れも挙げられます。しかし昨今顕著な性の乱れといえば、子どもを性的餌食としてターゲットにする事件の頻発があります。これは世界的な傾向のようですが、親が子どもを性的に虐待する事例まで頻発するに至っています。20年余り前まではありえなかった事態です。こうした変質の方が、日本にとってははるかに破壊的ではありませんか。

ただ、同性婚では、特別な手段を講じなければ、自らは子どもを産むことはできません。同性婚が増えると少子化が加速するであろうことも否定できませんが、これは社会にとっても望ましいことではありません。

とはいえ、例えば養子をもらったり、男性カップルが代理母に出産を依頼したり、女性カップルが第三者の男性から精子の提供を受けて子どもを産むということもありえます。もちろん、それを可能にする法律ができたらということですが、いずれの場合も、生まれてくる子どもにとっては、非常に複雑な環境に置かれることになり、どう考えるべきなのかは、すぐには結論を出すことは難しい。

異性婚でも似たようなケースはありますが、子どもに課せられたその困難さは、異性婚の場合とはステージが違ってきますね。同性婚が広く認知されるならば、子どもが受ける困難さも軽減されるかもしれませんが、LGBT当事者の幸福追求権の保障がどこまで拡張されうるのかは、長い議論が必要になりそうです。

3.LGBTの背景

昨今、LGBTが喫緊の課題として社会の前面に出てきたのは、昔ほどタブーでは無くなったということもあると思いますが、絶対数が増えていることがその背景にはあるのではないか。

つまり世界的に、LGBT人口の増加を促す因子のようなものが存在しているのではないかということです。

そこですぐさま思い浮かぶのは、人間の遺伝子に何らかの改変を誘発する物質が、人間の体内に取り込まれているのではないかという疑惑です。

この疑惑が芽生えたのは、偶々検索で『自殺する種子』(2009年、平凡社新書)という本を出版された、安田節子氏のインタビュー記事に出会ったことがきっかけです。タイトルそのままに、子孫を残さずに、一代限りで消えてしまうという、「自殺する種子」が人工的に作られているとは衝撃そのものでした。

米国のバイオ企業モンサント社(現在はドイツのバイエルに買収され、ドイツ企業)が米国農務省と共同で開発した、子孫を残す機能が破壊(削除)された遺伝子組み換え種だとのこと。農家は毎年、種子を買わざるをえない仕組みがその内部にセットされた、モンサントにエンドレスに収益をもたらす恐るべき遺伝子改変種です。

米国政府も操る?世界中で悪評の、モンサント社の実態
自殺者量産!? 遺伝子組み換え種“キケンな”企業が日本へ? 2012.08.15 Business Journal

いわば植物の生殖機能が損なわれているわけですから、遺伝子レベルでは同じような構造をもつ人間にも影響を与えずにはいないはず。

モンサントの種子が出回る以前からLGBTの人々は存在していたとはいえ、近年の急増には、何か人為的な因子が関与していることは否定できないはずです。その一つが、儲けさえすればそれでいいという、悪辣なバイオ企業が生み出した「自殺する種子」ではないかということです。

遺伝子組み換え作物は、生殖機能のみならず、人体全般に悪影響を及ぼしているはずですので、政府としてはこんな危険な種子の輸入は禁止すべきであるにもかかわらず、日本政府(自公政権)は全面的に解禁してきました。

同性愛者増加の因子の一つであると推定されうる遺伝子改変種子を輸入しながら、同性婚に反対する自民党は自らの矛盾をどう考えているのでしょうか。

この危険きわまりない種子は、日本のみならず世界中で使われていますが、LGBTが激増している世界の各国政府は、LGBTの人々の権利を守る姿勢に転じています。

加えて、非常に危険な「自殺する種子」の禁止法案の成立についても、各国の政府はもとより、国連でも勧告すべきではないでしょうか。

また、性に関する情報の氾濫も環境因子の一つでしょうね。幼稚園児や小学校の低学年でも「恋愛」アクションを促したり、過剰に自覚させる情報の氾濫、幼い子どもたちにとっては受け止めがたい状況が広がっています。こうした時流に合わせることのできない子どもたちは、幼い頃から、自分は異常では無いかと過剰な自己認識を強いられています。LGBT予備軍の量産です。

一般的な病気でも、命名されて初めて特定の病気だと認識されるものですが、性に関しても同様だろうと思われます。

わたしが中学生の頃は、Sと呼ばれる女の子同士の疑似恋愛作品を書いていた吉屋信子さんの作品が大人気でした。わたしも愛読していましたし、実際に、美人で頭のいい同級生に憧れ(疑似恋愛感情)を抱いた経験もあります。今ならレズだと認定されそうですが、レズにはならず、通常の異性恋愛、異性婚です。

レズビアンの友人もいました。レズ的な関係を迫られると生理的に受け入れることが出来ず、その点では強い拒否感情を持っていましたが、この問題を除けば有効な友人関係を築いていました。暴力的に関係を迫るような人の場合は、友人関係を続けることは困難だと思いますが、そうでない場合は、性的志向は、その人の人格の一部でしかないはずです。

隣にいたら見るのも嫌だという荒井元秘書官の反応は、体験上からも全く理解できません。わたしの場合も、当時、こうした感情は異常な同性愛だと認定されていたら、おそらく悩んだであろうし、ひょっとして認定された方向に流されたかもしれません。わたしの子ども頃は、男女の付き合いはまだまだタブー視されていましたので、抵抗のない同性を相手に疑似恋愛(もちろん精神的な領域)していたのだろうと思います。

また成人してからも恋愛のできない若者も結構いましたが、彼らは「おくて」だと呼ばれていたものの、異常者(非正規)だとの認識は皆無でした。「おくて」は、スレていない、純朴、純情というような意味合いがこめられていました。おそらく「おくて」の方々の大半は、周りの方々のお世話で異性婚をなさったと思われますが、今ならLGBTに分類される人々だったと思います。

結婚を禁じられた僧院などに同性愛が存在するのも、あるいはまた、アメリカでは非常に貧しい男性同士の間で、同性カップル多く誕生したとのニュースも、人間の性的志向は、文化的、社会的環境によって後天的にもたらされる側面のあることを示していると思います。

つまりは、LGBT保護と同時に、LGBTは全てが絶対的で先天的なものばかりではない、ということも考えるべきではないかということです。

LGBTの権利保護は当然のこととはいえ、様々な要因によって、LGBTは、人間に備わっている生物本来の機能の一部が失われていたり阻害された結果のことですので、可能ならば、阻害要因をなくす努力も進めるべきだと思います。

ただ、こうした情報氾濫による社会的な認知の変化は、政府だけで是正することは不可能です。過剰にLGBTの増加を誘導するような動きに対しては、無批判に全面的に受け入れることには注意が必要ではないかと思います。

ここで、LGBTに関する、余りメジャーではない海外の記事をご紹介します。
以下の記事は、目下フィバー状態にある、ChatGPT(Open AI)を基に開発したMSの新Bingで検索していたとき、偶然発見したものです。

同性婚賛成派 「合法化は平等への大きな一歩」 スイスインフォ(スイス公共放送国際部)

同性婚反対派 「合法化は新たに2つの不平等を生み出す」 スイスインフォ(スイス公共放送国際部)

スイスの記事を目にするのは初ですが、スイスの公共放送国際部のサイトです。日本語版ですが、機械翻訳では無く、日本語版には日本人担当者の名前が記載されており、日本語そのものの記事です。LGBTに関する賛否両論もあり。

まず驚いたのは、レイアウトが超シンプルでありがら、寸分の緩みも無く非常に美しいこと。いささか装飾過多、色彩過多のわたしのサイトとは正反対ですが、それだけにシンプルさの美に目が釘付けになりました。

もちろん記事も読み応えあり。非常に興味深いことには、スイスでは国も地方も議員は専業では無く、兼業だという。公権力を私的に使うという公私混同などはありえぬ仕組み。色々と参考になりますよ。LGBTについても、識者による議論が幾度も重ねられてきたという。これも日本にはありませんね。

公共放送だからか、サイトに広告が皆無であることにも驚かされます。スイスでは、「公」の使命が貫徹されているように感じますね。

なお新Bingは従来の検索とは異なり、検索したワードの最適解となるものをまず提示してくれます。OpenAI応用による新システムですが、この件に関しては近いうちに改めてテーマといたします。

最後に岸田政権に質問。防衛費増額には国民にその必要性の有無を明確に問うために、増税を提案することには賛成ですが、岸田総理は国民にその是非を問わずに決定、バイデン大統領への献上品として献呈しました。

米国政府は大喜びしましたが、43兆円もの巨額防衛費の増額は正気の沙汰だとは思えません。その積算の根拠となる資料を国民の前に示すべきではないですか。安保上公には出来ないなどという、稚拙なごまかしは通用しません。アメリが開発し保有する武器に関しては、世界中で把握されています。それをそのまま輸入する訳ですから、隠す意味は皆無では?

岸田総理のみならず、安倍・管元総理や歴代総理もそうでしたが、アメリカ政府の歓心を買うこと、その意を汲むことが日本政府の最大の任務だと考えているとしか思えません。5年分の合計とはいえ、43兆円もの防衛費増額は、過去のどの従米政権でもなかった異常なまでの献上品です。

自殺する種子