ポート

サイト名を「葦の葉ブログ」から「ポート」に変えました。

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生成AIを使って考える

本ブログはnoteというブログサイト、葦の葉ブログnote「生成AIを使って考える」にて公開した5編のブログを転載、移転したものですが、移転理由については、noteから生成AI関連ブログを移転をご覧ください。

  デジタル技術のもつ両義性

久本福子 Hisamoto Yoshiko

わたしは長らく「葦の葉ブログ」というブログを発信してきましたが、人類史を画するChatGPT(生成AI)の登場を受けて、生成AIに特化したブログ「生成AIを使って考える―葦の葉ブログnote」を発信することにしました。

ChatGPTは我々の前に姿を現すやいなや、人類がかつて経験したことのないような衝撃を与えつつ、世界中をその驚異の渦の中に巻き込みつつあります。人類史を画するその衝撃の由来は、人間の外部に存在したかつての技術とは異なり、生成AIにまで進化したデジタル技術は、人間の外部に存在すると同寺に人間の内部そのものでもあるという両義性にあります。この両義性を解剖することは、人間とは何かを考える際の、重要な契機となるはずです。生成AIを使いながら、人類永遠のこのテーマを深めていきたいと思います。

とはいえ、生成AIは様々な危険性を孕んでいるのも事実です。しかしその危険性も含めて考察することは、人類史的・文明史的に、我々をより深い考察へと誘ってくれるはずです。生成AIはその格好のフィールドとなるとの思いに導かれて、noteを改装オープンいたしました。

とご案内文を書いたものの、わたしはAIの専門家ではなく全くの素人です。学生時代の専攻は国文科(維新の会によって消滅させられた大阪市立大学文学部国語国文学専攻科卒・・・出身校まで書いたのは、わたし久本福子の成りすまし防止のため。)、高校で国語を教えたり、短大の国文科で教えたりした後、福岡市にあります葦書房を経営しておりました。

出版社経営の必要に迫られ、自分でHPを作ったことがきっかけでデジタルの魔力に開眼。以降、素人流にデジタル探訪を続けてきましたので、noteで始めようとしている生成AI探訪も、あくまで素人流です。

しかも80歳に近い高齢者。年をわきまえない素人挑戦には我ながら驚いていますが、日常使う言葉(自然言語)だけで領域横断的に様々なものを作り出す生成AIは、年齢の壁も知識の壁も一気に突き崩す威力を持っています。

デジタル技術の登場そのものが、すでに人類史を画する大革命をもたらしましたが、生成AIの登場は、人類史を画する画期度が質的に異なっています。 というよりも、デジタル技術の持つ、底知れぬ無限の進化力に畏怖さえ覚えます。

しかし生成AIに関しては、ハウツー物は山のように発信されていますが、この新技術が我々人間に何をもたらすのかについて、生活者の目線から語られることは皆無に近い。

もっとも影響を受ける一般の生活者にとって、生成AIとは何を意味するのか、何もたらすのか、この根本的な疑問への考察は必須事だと思います。そしておそらく、この考察は、素人ゆえに可能ではないのかとも思います。無謀な試みを始めたゆえんです。

素人にも使える生成AIを実際に使いながら、この畏怖の正体に迫ってみたいというのが、わたしの無謀な試みの基本テーマです。と同寺に、大きな基本テーマを掲げながらも、生成AIを実際に使いながらの考察ですので、生成AIの使い方をお示しするハウツー的な側面もあるかと思います。

その具体化として、マガジン「生成AIを使って人間を考える」を発行することにいたしました。同じタイトルの記事「生成AIを使って人間を考える」にて、生成AIに対する興味の核心について書いております。

<*マガジンのタイトルは、記事と混同して混乱しますので「生成AIマガジン」に変更しました。カバーデザインも変更しております。2024/1/11>

なお3年ほど前に「葦の葉ブログnote」を開設し、2020年12月13日に「note始めました。」を発信。続いて12月15日に「Googleへの疑問」を更新しましたが、以来、更新が途絶えたままになっていました。

当時はnoteを開設したものの、noteを使って何をするのかという位置づけが明確ではなく、間もなくnoteは休止状態になり、そのまま3年近くが経ってしまいました。しかしChatGPT登場の衝撃を受け、この休眠noteを、生成AIに特化したサイト「生成AIを使って考える―葦の葉ブログnote」として復活させることにした次第です。