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事実は小説より奇なり・後編-2

前号「事実は小説より奇なり・後編-1」では、川浪病院の三多の主治医であった二ノ坂保喜氏が、三多の死をめぐる不可解事に深く関与していたことをご紹介しましたが、二ノ坂氏のお役目はさらに続きます。

1.「二人の奥さん」捏造工作

三多の葬儀も終わり、しばらく経った頃のことです。確か朝日新聞だったかと思いますが、三多の死を看取った医師として、二ノ坂氏のエッセイが掲載されました。病状や入院中の様子を綴ったものです。

専門用語を使った文章で病状などが説明されていましたが、長期に入院していた逓信病院や福岡市民病院の主治医から聞いた診断とは全く異なったことが書かれていました。

専門的な内容については、その正否については印象的な感想以外は書けませんが、「二人の奥さんと子どもさんたちに見守れながら、、、、。」と書かれた箇所を目にした時には、激しい驚愕に襲われました。

この二人の奥さんとは、どうやらわたしと、「中編」でちょっと触れました女性のKさんを指しているらしいと思われますが、事の真偽は別にしても、医師がこんな文章を公の場で発表するのかと、二ノ坂氏の医師である以前の、社会人としての余りの常識のなさに驚愕してしまいました。

善意に解釈して、二ノ坂氏は事情をよくは知らなかったとも言えなくもありませんが、すでに「中編」「後編-1」でご紹介しましたように、川浪病院では通常の病院ではありえないような異様な光景が展開されていました。

この異様な光景と「二人の奥さん」の捏造工作とは表裏一体、密接不可分の動きであるのは言うまでもありませんので、事情を知らなかったという善意の解釈すら成り立つ余地はありません。

というよりも、詳しい事情は知らないというのであればなおのこと、通常ならば、死者を悼む文章に、こんな異常な、非常識なことを書いて公開するはずはありません。社会常識のある一般人なら絶対に書かないと思います。にもかかわらず二ノ坂氏は、医師としての立場を使って、この異常な文章を公開しました。

つまり二ノ坂氏は、三多には「二人の奥さん」がいたのだという、印象捏造を意図的に広めるために、確信犯的に新聞への寄稿をしたものと思われます。

ただ、病院内での異様な光景も含めて、こうしたシナリオを二ノ坂氏が個人的に考え出して実行に移したとは思えません。おそらく二ノ坂氏に、この異様なシナリオを伝授した陰の存在がいたのだろうとは思いますが、その陰の存在については、二ノ坂氏ご自身に明らかにしていただきたいと思います。

二ノ坂氏のこの異様なエッセイの公表からしばらく後のこと、「中編」でもご紹介しましたように、文化人A氏の、三多は1歳の子どもを残して亡くなったと書かれたエッセイが新聞に掲載されました。

これは100%ありえない事実無根の話ですが、医師である二ノ坂氏のエッセイと合わせて、三多を直接知らない読者は全員、この捏造話を100%信じただろうと思います。三多は死後、その人生を捏造話によって覆われてしまいました。

A氏は西日本新聞専属のような評論家ですが、このエッセイが掲載された新聞が西日本新聞だったのか朝日新聞だったのか、記憶は曖昧です。西日本新聞は、福岡はもとより九州圏内では全国紙を抜いて最大部数を誇っていますし、朝日新聞は知的エリート層に絶大な人気があります。

当時の新聞の情報発信力とその信頼度は抜群。日本中に、これらの捏造話が一気に広まったと思います。メディアや出版業界や文化業界中心の限定された範囲ではあれ、情報発信の要の世界では、おそらくほとんどは、この捏造話が疑うことなく受け入れられたと思います。

しかし二ノ坂氏の捏造話はさらにヒートアップします。三多の死から1年後に「久本三多―ひとと仕事」という追悼録が、葦書房から刊行されました。

ここには、女性Kさんが実名で登場し、いつも三多に寄り添って看護していたとまで書かれています。わたしは、母が病室で付き添うまでは毎日病院に行っていましたが、女Kさんには会ったことはありません。

にもかかわらず二ノ坂氏は、三多が活性リンパ球療法を望んだので、東京から活性リンパ球を取り寄せたが、その際、女Kさんが、東京から送られてきたリンパ球を空港まで取りに行ってくれたとの話も披露しています。

2. 活性リンパ球療法話の捏造

これまで専門用語はスルーしていましたが、先ほどネットで検索したところ、簡単な治療法ではないことが分かりました。以下のサイトには、図解入りで分かりやすく解説されています。

九州厚生会クリニック 活性リンパ球療法

 活性リンパ球療法の図解

一言でいえば、患者本人から採取した血液(他人の血液は使えません)を基に、ガン細胞を攻撃するT細胞を外部で培養、増殖させて、点滴で患者に投与して、ガンを撲滅ないしはガンの進行を遅らせる療法だとのこと。

さらに詳しい解説もありました。

活性化リンパ球療法 癌移転の治療法ガイド

活性化リンパ球療法は患者由来のキラーT細胞を活性化

活性化リンパ球療法では、癌患者の血液を採取してキラーT細胞を抽出します。そして人工的にキラーT細胞を増殖させて、大量に増やした状態で再び本人の体内へ戻すことがポイントです。

通常量のキラーT細胞では進行してしまった癌細胞を十分に攻撃できなくとも、大量に増殖させた本人由来のキラーT細胞を一気に体内へ投与することで、癌細胞への攻撃力を高めて治療効果を得るというのが活性化リンパ球療法の考え方です。」

活性化リンパ球療法

二ノ坂氏は、わたしには何一つ報告しませんでしたが、当時も今も、正式の治療法とは認められていない治療を実施するに際しても、一言の相談もなければ報告すらありませんでした。わたしは毎日病院に行ってましたが、こんな治療を受けている三多の姿は見たこともありません。もちろん、当人からも聞いていません。

そもそも、この治療そのものも捏造である可能性は非常に高い。上記二つのサイトを参考に、その理由として次の2点を指摘しておきます。

(1)活性化リンパ球療法は、非常に時間がかかるということ。

・本人の血液を採取して分離器にかけ、血液の成分を分離、分解し、癌をやっつけるT細胞を増殖させるまで、最低14日はかかるとのこと。技術の進んだ現在でも最低14日かかるとのことですので、30年近く前では、もっとかかった可能性は高い。少なくとも現在より短縮されることは100%ありえない。

・しかも、本人から採取した血液の分離にも数日はかかるはずので、T細胞培養までは、最低でも16,7日は必要です。加えて、二ノ坂氏は、東京のどこかに培養依頼をしたそうなので、20日ぐらいはかかっているはずです。

・三多の川浪病院の入院日数は13日。

まず、時間的に見て、物理的に100%ありえない治療法です。

(2)活性化リンパ球療法は自由診療なので保険が使えず、治療費が非常に高額。

この治療法は効果が確定的には認められていないので、保険適用外。二ノ坂氏も、その効果には賛否あり、評価は分かれていると書いていますが、30年近く経った今も、評価は確定しておらず、保険適用外。

ネットで調べてみても現在の価格しか出てきませんが、数千万円という数字も目にしました。自由診療なので、標準的な治療費はあってなきがごとくなのかもしれませんが、非常に高額であるのは明らかです。

ましてや、東京のどこかにまで遠路発注せざるをえなかったらしい30年近く前では、さらに高額であっただろうと推測されます。

その高額な治療費は、いったい誰が払ったのでしょうか。三多個人のお金の出入りの記録には、そんな高額はありません。そもそも絶対額として、そんな高額は本人は持っていません。

いったい誰が払ったのでしょうか。

ということで、この活性リンパ球療法も捏造である可能性が非常に高い。

しかし最大の謎は、素人でもちょっと調べればすぐにも分かるウソを、なぜ二ノ坂氏は平然と公の場で公開したのかということですが、これもすぐには解きがたい謎の一つです。

この謎と関係しているのか、二ノ坂氏は、追悼録には女Kさんのことを実名入りで何度も紹介しています。

現実にはありえない活性リンパ球療法でも女Kさん登場させた上に、女Kさんはいつも三多のそばについていたと平然と大ウソまで書いています。亡くなる数日前には三多は車椅子で病院の周辺を散歩していたそうですが、6月5日の日曜日には、女Kさんと穏やかに病院の裏庭を散歩していたと書かれていました。

この時期は、三多の母が病院に泊まり込んでいた頃ですが、「中編」で書いたような異様な光景とは全く無縁の穏やかな雰囲気の下、三多は女Kさんと最期の日々を過ごしたとのお話しが披露されています。

わたしが毎日病院に行っていたということを完全に無視していますが、ここでもまたもや、「二人の奥さんと子どもたち」が登場します。

実は三原さんも、追悼録のあとがきに三多は女Kさんには穏やかな日々を与えられて、川浪病院でも穏やかに最期を送ることができたと記しています。

女Kさんは、二ノ坂氏と三原さんによって、格別の存在として世間に広くお披露目されることになったわけです。

追悼録は通常は遺族にも相談があるはずですが、こちらには事前には全く相談もお知らせのないまま、わたしにも寄稿するようにとの案内だけは届きました。しかしわたしは、追悼録は捏造工作に利用されるだけだと確信していましたので、無視して寄稿しませんでした。案の定、医師までもが強力に関与した捏造の舞台となりました。

大半の追悼文は、こうした捏造工作とは無縁の、三多への追悼の思いが綴られたものですが、三多の最期を看取った主治医と、葦書房を継いだ三原さんのお言葉群の威力は抜群です。個人で太刀打ちできるものではありませんでした。

事実は小説よりも奇なり・集合