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サイト名を「葦の葉ブログ」から「ポート」に変えました。

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事実は小説より奇なり・完結編

非常に長く連載がつづきましたが、お盆の15日にやっと完結編を書き上げることができました。きわめて特殊な個人的な体験の数々を書き綴ってきましたが、特殊な事例は決して特殊な事例ではないことを、本稿を書き終えた今、あらためて感じております。

1.異様な事件の背後を探る

わたしはある頃から、葦書房と三多の死をめぐる異常な出来事の背後には、あらゆる領域に影響力を行使しうる、強力な力をもった組織が介在しているはずだと考えるようになりました。

川浪病院に呼ばれた女祈禱師にしても、呼んだといわれているミスターX氏が直接その存在を知っていたとはとても考えられません。その他の工作にしても同様です。

様々な工作に必要な人やモノや情報等を提供する勢力が背後にいなければ、どれも不可能なものばかりです。わたしは、葦書房を引き継いだ後、さらにこの思いを強くしました。そう考えざるをえない出来事に、次々と遭遇させられ続けてきたからです。今回はまずは、その話から始めることにいたします。

連続するエンジン故障

その事例の筆頭として、葦書房が使っていた日産の大型バンをめぐる事故についてご報告します。車種名は覚えていませんが、社有車ではなくレンタル方式で借りていたものでマニュアル車でした。社有車だったら、三原さんたちはこの車も持っていったかもしれませんが、レンタルなので置いて行ったのでしょう。

わたしは、全自動の乗用車しか乗ったことがありませんでした。また、自宅には車庫がないこともあり、東京に行く前に自分の車は売り払っていましたので、仕事で車を使う時は嫌でもこの車を使わざるをえません。マニュアル車は自動車試験場で乗った以外は、東京でレンタルしたバンを半日ほど乗ったぐらいで、本格的に乗るのは初めてです。

マニュアル車でもっとも問題になるのはブレーキ操作ですが、乗り始めてそれほど時間が経っていないのに、ブレーキが効かなくなりました。長男は出荷業務や、取次、書店への納品業務を担っていましたので、日常的に車には乗っていましたが、アルバイトでも車に乗っていましたし、アメリカでも広いハイウェイを車で走行していたらしいので、わたしよりは運転はうまいはず。

しかし息子はブレーキの故障には気がつかず、気がついたのはわたしです。わたしが乗っていたときに故障が発生しました。すぐさま日産のレンタル会社に連絡して修理をしてもらいましたが、ブレーキのかけすぎだと言われました。慣れていないのでそうかもしれないと思い、ブレーキ操作には気をつけようと肝に銘じました。

ところが、修理されたはずの車のブレーキが、1週間も経たないうちにまたもや故障。ちょうど何かの用事で、この車で自宅に戻ったときに故障が発生しました。自宅の前は急坂なのですが、登り始めたところ、車が後ろに落ちて行きます。びっくりしてブレーキをかけたのですが、全くブレーキが効かず、そのままずるずる落ちる。ぎょっとしましたが、やむなくご近所さんの石壁に当てて車を止めました。

もしもこれが夜だったら、わたしもパニックになったと思います。たまたま昼間だったので、意図的に石壁に当てて止めるという判断もできたのだと思います。

しかし修理して1週間ほどでブレーキが効かなくなるとは、余りにも不可解。修理後は、意識してブレーキを操作していましたので、使いすぎでブレーキが摩耗することはありえませんし、そもそも、修理して1週間ぐらいで故障するなら修理の仕方が悪いことは明白です。

坂道でのブレーキは効かないものの、平地では走行はできましたので、注意しながら自分で運転して帰社しました。日産に報告するとすぐに修理すると言われましたが、故障するように意図的に工作したことは明らかでしたので、レンタルを解約し、代わりに、中古のミニバンを個人で購入しました。

今これを書きながら、最初のブレーキの故障も、わたしの運転のせいばかりではないようにも思えてきましたが、当時はそこまでは考えたことはありませんでした。しかし、この新たな疑惑も完全には否定できないはず。

なお、この異変については、これまで社名を伏せてブログで何回か報告したことがありますが、注意喚起のために、今回は初めて社名を出しました。親会社は全く関知しない出来事だと思いますが、関連会社の末端でなされていた異様な工作の一事例です。

深夜の急激Uターン

車を変えたので、ブレーキ故障による事故のおそれはなくなりましたが、新たな事故の危険性に遭遇することになりました。

引き継いだ当座は、毎日夜の11時や12時頃まで会社で仕事を続ける日々が続いていましたので、深夜の道路を走るわけですが、帰宅するには必ず横切る必要のある城南線という道路で危険に遭遇しました。

城南線は昼間でもそれほど車の走行量は多くないのですが、深夜になると車はめったに通りません。周囲は大きなマンションが建ち並んでおり、深夜はコンビニと街灯以外の灯りもないような所です。

その城南線を信号が青になって渡ろうとした時、猛烈な勢いで走ってきた車が、渡ろうとしたわたしの車の前で急激に方向を変えてUターンしました。わたしが、信号が変わってすぐに動いていたならば、激しい勢いでその車とぶつかっていた可能性があったことは間違いありません。

これが1度だけならば、偶然の出来事と考えることもできますが、似たような場面に再度遭遇しました。誰かに狙われていると考えざるをえない状況です。

他にも、この急激Uターンほどのは危険性はないとはいえ、通称、山越えと呼ばれる近道を通って通勤していた際には、いくつもある脇道から急発進してくる車には何度も遭遇しています。

そこでやむなく危険を避けるために、会社の近くでアパートを借りることにしたので、車をめぐる災いからは解放されました。アパート暮らしは1年ほど続きました。

次男は、アメリカ留学から帰国後は家を出て、自活。長男も別のアパートを借りていました。長女は大学卒業後も東京暮らしでしたので、自宅はしばらく空き家状態が続いていました。

その後、三原時代に4重抵当(三多の時代には2重抵当)になっていた、葦書房社有の自宅は、ついに競売に。引っ越しを余儀なくされました。

ところで車といえば、三多が亡くなって1,2年ほど経った頃のこと、短大時代にもひゃっとするような出来事がありました。短大には車で通っていたのですが、ある日のこと、帰宅するために車を動かしたところ、緩やかな坂を下って車道に出る寸前のところで、石壁に当たって車が止まってしまいました。タイヤがパンク。

すぐさまJAFを読んだのですが、大きな太い釘がタイヤにささっていました。他にも大勢の先生方が車を止めておられましたが、タイヤの釘刺しはわたしの車だけ。自宅から短大までは非常に近く、3キロあるかないかぐらいの距離です。道路は完全舗装。

この時は負傷もせずに災いを避けることはできましたが、それから1,2年後には、授業の盗聴という恐ろしい出来事が待ち構えていました。この盗聴が、わたしが短大を辞める原因になったわけです。因果のめぐりの不可思議さにあらためて驚かされます。

ただこの時のタイヤパンク事故で、石壁に当たって車が止まった光景が、葦書房の大型バンが、坂道で後ろにずり落ちる事故に遭遇した際には瞬時に思い浮かび、壁に当てて車を止めるという判断に繋がりました。災いは時には助けにもなることを、身をもって学びました。

度重なる車関連の事故を経験した後は、極力飛行機には乗らないようにしていました。乗らざるを得ないときには、チケットは直前に買うようにして、事前予約では買わないようにしていました。過剰防衛だったかもしれませんが、当時は、本気で身の危険を感じていました。

振り込み詐欺ミニ版

ここで再び葦書房に戻りますが、三原さんたちの借金を返すために、持ち金を全て吐き出すとともに、新たに借金をしたことを前回お話ししました。その借金の一つとして、国民金融公庫からも長男を保証人にして借り入れました。

他にも銀行からも借り入れましたので、三原さんたちの借金に加えての借金まみれの中で、毎月毎月、借金返済に追われまくっていました。そんなある日、金融公庫への支払期日がすぎた頃、金融公庫から支払督促の電話がかかってきました。

遅れているので、すぐさま振り込むようにとのことで、振り込み先の口座番号も伝えられました。支払が集中する月末と月初めは、どれから支払っていくべきかでも迷い、いささかパニック状態になりがちです。この時も、まさにそんな渦中にかかってきた督促の電話でした。

電話に促されるようにして、メモを手に銀行に行きました。いつもは、登録済みの金融公庫の口座にワンクリックで振り込むのですが、この日はなぜか、不思議ですが、手にしたメモを見ながら、わざわざ口座番号などを手入力して振り込んでしまいました。

ところがそれからしばらくして、金融公庫から督促の電話が入りました。まだ振り込まれてないとのこと。ええっ!びっくり仰天。メモを見ながら振り込んだのは、金融公庫ではなかったことが分かりました。

しかしメモはどこにも残っていません。ATMから出てくる振り込み記録も、この分だけどこにもありませんでした。やむなく、泣く泣く、本物の金融公庫に振り込みました。額は5万円。数ある振り込み詐欺の中では微々たる額ですが、葦書房が金融公庫から借り入れていることや、その支払日などを知らなければ起こりえない犯罪でした。

引き継いだ当時は、ハローワークを通して経理とパートの人に来てもらっていたのですが、わずかな人件費の工面にも窮し、辞めていただきました。

やむなく見よう見まねで、わたしが経理も担当することになったのですが、金策に加えて経理事務もしなければならず、混乱に拍車がかかっていました。ちょうどそんな混乱に乗じた、電話による誘導でした。幸い、以降は、類似例は発生していません。しかし、不可解なな工作はまだまだ続きます。

ニセの大量注文

かなり前に出したある作家の本が、ある日、突然急激に売れ始めました。連日、大量の注文が入ります。ちょっと経験を積めばおかしいなと感じるほどに、途切れることなく大量注文が続きます。再版する必要がありそうだと思いながらも、簡単には印刷発注できない経営事情もあり、念のために倉庫を家捜ししたところ、非常に高く山積みされた作家の本の在庫を発見しました。

印刷費を使わずとも本が売れる!もう嬉しくて嬉しくて小躍りしましましたが、この山積み本を発見した直後から、注文がピタリと止まりました。受注済み分は発送しましたが、ほとんど返品されてきました。

出版流通は、事実上、無条件、無期限の返品フリーの決まりになっていますので、この仕組みを悪用すると、小さな出版社を倒産させることはいとも簡単です。

幸い大被害だけは免れ、在庫の存在に気がつかず再版した場合の損害に比べれば、被害は少なくてすんだとはいえ、出版流通を悪用した大がかりな営業妨害工作がなされていたことを知った衝撃は、かなりのものがありました。

自費出版詐欺

三原さんたちが残した借金の返済が完済されていませんので、葦書房が印刷所に発注する際は、現金払いしか受け付けないといわれていましたので、うかつに企画出版は出せませんが、自費出版なら本も出せて、確実な収入にもなります。

そこで新しく自作したHPで自費出版の広報をしたところ、ぽつぽつと依頼が入ってきました。社長交代時には、全マスコミで派手派手しく葦書房の騒動が報道されていましたので、応じてくださる著者はいないだろうなあと思っていましたので、ぽつぽつと依頼があったときは心が救われたような気分になりました。

ところが、その自費出版が8冊を越えて9冊目の依頼を受けた時に、自費出版そのものの受注を断念せざるをえないような出来事に遭遇しました。

ある日、市内に住むお医者さんの奥さんSさんが、画文集の自費出版をしたいと来社されました。若い頃に経験されたある出来事を、関連写真と文章でまとめたもので、オールカラーの大判で、ハードカバー、全ページ上質紙での出版を希望されていました。

仕様上、出版費用はかなり高額でしたが、即座に了解いただきました。自費出版とはいえ、豪華本。嬉しさ満開でさっそく編集作業に着手。すでに準備されていた原稿ではページ数が少なく、オールカラーの大判(B5版)でハードカバーという仕様には釣り合わない状況でしたので、原稿を膨らませる必要があることをSさんに伝えました。

Sさんもまだまだ書きたいことがあったのか、即座に了解され、毎日FAXを使って何度も原稿が送られてきましたので、わたしはその都度、コメントをつけて返信しました。FAXでのやり取りは、まさに怒濤のような勢いで送られてきましたが、そのやり取りがかなりの期間続いて、原稿は約2倍の量まで膨らみました。

ただ水ぶくれさせただけではなく、Sさんの経験が歴史的に見ても非常に希少で貴重なものでしたので、わたしは、その価値を引き出すような気持ちでやり取りしていましたので、原稿が増えた分、内容はより濃密なものになったと思います。

その思いが伝わったのか、改稿が完了すると、Sさんは来社された折、お礼の気持ちだと言って、5万円も入った祝儀袋をわたしに手渡されました。すでに、かなり高額な制作費の4割を手付金として受け取っていましたので、その旨伝えて断りました。

しかしSさんは、これは社長さん(わたしのこと)個人にお礼をしたくて差し上げるものなので、別物です。是非とも受け取ってくださいとおっしゃいますので、申し訳なく思いながらも、ありがたく頂戴しました。

そんな感激の場面を経て、初校が出るまでSさんとのやり取りもなく日々が過ぎ、いよいよ初校が出る時が来ました。ところが、初校が出るそのタイミングに合わせるように、Sさんから突如、自分の本は葦書房さんから出さないので、契約を解除したいという、驚天動地の申し入れがありました。

その理由を聞いても、理由はなし。ただ契約を解除したい。制作費の4割の支払済みの着手金も全額返してほしいという異常な要求までなさいます。当然、そんな要求は受け入れられません。祝儀袋まで持って来られたSさんとは、全くの別人格に変わっていました。

しかもSさんは、この異様な要求を何度も何度も執拗に繰り返えされました。いったい何があって、これほど異様に人格が変わってしまったのか、想像もできませんでした。

正気を失ったとしか思えないようなSさんを相手にうんざりさせられていましたが、Sさん本人では契約解除はできないとみたのか、ついにお医者さんであるご主人が、契約解除の直談判のために来社されました。

ご主人も医者という職業にもかかわらず、非論理的で非常識丸出し、Sさんと全く同じような、理不尽きわまりない契約解除と、入金済みの着手金の返還を要求しつづけます。

余りにも異様すぎる展開です。裁判も考えましたが、仮に裁判に勝って強引に出版しても、制作費の残り6割の支払はありえないでしょうし、著者との関係が完全に壊れてしまっているのでは出版の意味がありません。それにこんな異様な人とこれ以上関係は持ちたくないと思い、ご主人に譲歩案を提示しました。

葦書房での出版は断念しますが、入金済みの着手金は返還しませんと伝えました。ご主人はその場では納得されませんでしたが、その後は押しかけることもなかったので、不本意な形ながら、この狂気じみた出版契約詐欺騒動は一件落着しました。

この騒動の渦中に、印刷を依頼していた凸版印刷から初校が届きましたが、レイアウトには一切の問題なく、美しい画文集になっていました。凸版印刷から初校が届いたことは、Sさんにもご主人にも伝えておりましたが、初校を受け取ると着手金の返還請求ができないからか、受け取ろうとはしませんでした。

この事件については、出版を断念した時点で事の顛末を葦書房のHPで発信しましたが、それからしばらくして、東京のとある小さな(余り知られていない)出版社からSさんの画文集が出版されたことが、読売新聞の記事で分かりました。タイトルは、わたしが付けたものとは違う、やや凡庸なものに変えられていましたが、おそらく中身はほぼそのままなのではないかと想像しています。現物は見ていませんが。

この成り行きを知って、出版に耐えられる内容になるまでわたしに編集作業をやらせ、実(み)となったところで巻き上げる、つまりは葦書房では出版させない、という魂胆だったのかと納得しました。この衝撃は大きく、自費出版は2度とやらないと決め、HPにもその旨広報しました。

その後も自負出版の依頼は何度も来ましたが、Sさんの事件で受けた衝撃は大きく、自費出版はそれ以降、完全に断ってしまいました。

しかし今これを書きながら、Sさんの事件の異様さは、ご主人が医者であったことに起因する特殊な例だったのではないかとも思えてきました。つまり、医療関係者にルートを持ちうる、勢力による工作であったのではないということです。

もちろん、この推測は、川浪病院の二ノ坂保喜氏にもつながってきます。ご紹介した上記のような異常な出来事はまだまだありますが、話を先に進めます。

2.二ノ坂医師の正体

これまでは、川浪病院で何があったのか、三多の主治医で同病院の副院長であった二ノ坂氏が何をしたのか、何を書いたのかという事実については繰り返し紹介してきましたが、医師である二ノ坂氏がなぜ、医師にはあるまじき異様な言動をためらいもなく続けてきたのか、その理由や背後事情についてはほとんど触れておりません。

余りにも異様すぎる出来事の連続でしたので、まずは、明確に認識することが可能な事実を知っていただきたいと思ったからです。加えて、想定しうる背後事情はかなり複雑で、川浪病院内での出来事や二ノ坂氏の言動だけをフィルターにしていては、その全貌を推測することは困難だと思われましたので、病院関係を一旦離れて、様々な事象をご紹介した次第です。

実は、葦書房を引き継ぐ前と引き継いだ後に、二ノ坂氏に関する新しい情報に接する機会に、年単位の時間を置いて連続して遭遇しています。

最初は、短大を辞めて上京するまでの1999年頃のことです。当時、わたしは韓国の女性作家論を書いたほどの、かなりの親韓人間でした。韓国語を習いたいと思っていたほどです。無職状態で時間だけはたっぷりある日々が続く中、ある人から、無料で韓国語を教えてくれるところがあるよと教えられました。

知人は、韓国人が講師であること以外、詳しい説明は何もせず、地図だけ書いてくれました。詳しいことは分かりませんでしたが、迷わず即行です。地図を見ながらその場所に到着。確かに韓国語教室との看板というかネームプレートはありましたが、何と、キリスト教系の教会でした。

教会でなんで韓国語を教えるのかと不可解に思いましたが、プロテスタント系の教会で牧師が韓国人であることが分かりました。当時わたしは、福岡市内に、韓国人が牧師の、キリスト教系の教会があるとは想像もしていませんでしたのでびっくりしました。

わたしはキリスト教の教義を聞きにきたと誤解されて信者に勧誘されても困るので、韓国語を習いに来たと来意をはっきり伝えました。すると、座のまとめ役らしき女性が牧師さんが韓国人で、牧師さんが韓国語を教えてくれることなどを説明され、学習に使うプリント類も手渡してくれました。が、なんと、その女性の姓が「二ノ坂」だということを知って、息が止まるほど驚愕しました。

「二ノ坂」という姓は非常に珍しく、二ノ坂氏の奥さんかと思ったものの、この時はまだ二ノ坂氏がプロテスタントであることは知りませんでしたので、その繋がりはあいまいでした。

しかも川浪病院という名前は口にするのも禍々しく、二ノ坂医師の奥さんですかと、さりげなく尋ねる一言も出ませんでした。それどころか、もしも二ノ坂氏の奥さんであれば、わたしの顔を見ながらニコニコ笑っておられるのかと、川浪病院での異常な出来事が一気に蘇り、この教会にはこの日一日行っただけでおさらばしました。

ところが、この教会訪問で曖昧なままであった問題に強力な光が当たる出来事が起こりました。わたしが葦書房を継いで5年余り経った頃のことです。

2006年に実施された福岡市長選挙で、西日本新聞の経済部記者であった吉田宏氏が市長に初当選されました。西日本新聞の記者とはいえ、経済部の記者だったのでわたしとは全く面識のない方でしたが、吉田新市長は、当選後の目玉政策の一つとして、国際貢献に功績のあった市民を表彰する賞を新設することを発表しました。

やがて、新設された「福岡市市民国際貢献賞」の、栄えある第一回の受賞者が発表されました。なんとなんと、私心を捨てて貧しい国の弱者救済に励んだその偉人とは、あの川浪病院の二ノ坂保喜氏ではありませんか。よりによって、なんで二ノ坂氏が選ばれるんだ!!! この時の怒りと衝撃は言葉にできないほどでした。

ただ、この受賞発表で二ノ坂氏がプロテスタントであることが分かり、それまで背後事情が全く分からなかった二ノ坂氏の、もう一つの属性を類推するきっかけとなりました。ただし、現在はネットでどれほど検索しても二ノ坂氏がプロテスタントであることを表記した記事は見当たりません。

しかし、「福岡市市民国際貢献賞」発表時には、プロフィールにプロテスタントと明記されていたのは紛れもない事実です。韓国人牧師の教会にいた女性は、二ノ坂氏の奥さんか親族の方だったのだろうと思います。

わたしは、葦書房の法人格を閉鎖し、個人経営に移行してサイトで個人ブログを発信するまでは、葦書房のHPでは、三多の死をめぐる異常事についてはほとんど発信していませんでしたが、2000年に始めた東京での出版社サイトでは、今回ほど詳しくはないものの、異常事についても遠慮なく発信しておりました。

それがどこまで読まれていたかは分かりませんが、マスコミや出版関係者にはそこそこ知られていたのではないかと思います。三原さんからも、クレームがきたぐらいですから。川浪病院と二ノ坂氏の異常事についても告発していました。

しかし華々しく報道されたこの国際貢献賞受賞により、わたしの告発の方がウソで妄想だと誰もが思ったはずです。おそらくそれを狙った賞の新設であり、受賞だったのだと思います。話題がそれてしまいますので、詳しくは書きませんが、吉田新市長は、当選に力を貸してくれた勢力の影響を受けつつ市政運営をしていたように思います。

吉田市政でもっとも驚愕させられたのは、韓国との関係を強めるためと称して、福岡市役所内に、韓国の役所の出張所設置を許可したことです。西日本新聞は当時は今以上に韓国紙との一体化を進めていましたが、とはいえ、なぜ、公共の場である市役所内に韓国の役場を設置させたのか。とても正気とは思えぬ政策でした。その吉田氏は、次期選挙では落選。国際貢献賞も廃止された気配です。

3.組織Xによる乗っ取り工作

わたしは、三多の死の前後をめぐる異常事を振り返るたびに、この事件の背後にいる組織についても考えましたが、かなり長い間、創価学会が関与しているはずだと考えていました。

日本の政財界はもとより、マスコミや文化関係、学術機関にまで及ぶほどの、非常に広範囲に強力な力をもっている民間の組織は、創価学会しか思い浮かばなかったかたからです。

この思い込みから、わたしは公開の場(私的なサイト)で、かなり激しい創価学会批判を展開していました。しかし冷静になって考えると、創価学会がこんな異様な犯罪に関与する動機はどこをどう探しても見つかりません。

この異常な事件の最大の眼目は、葦書房の奪取。三多の残した死亡保険金も狙いの一つだったと思いますが、それはあくまで付随的なものであり、本来の目的は、ある程度ステータスを備えた葦書房という出版社そのものを奪取することだったと思います。

東京の出版社を相手では不可能ですが、地方なら可能。福岡という地域性もあったかもしれませんが、葦書房はかなり前から目をつけられていたと思います。三原さんもこの流れに乗っていたはずですが、ご本人もかなり強欲。加えて、葦書房の全株をわたしが持っていましたので、ニセの遺児を使った乗っ取り工作も想定どおりにはいかなったのだと思います。

しかしもしも、出版や文化業界には全く無縁の長兄が葦書房を引き継いでいたならば、もっと迅速に葦書房の乗っ取りは完了していただろうと思います。学校の先生を牛耳り、操ることは、赤子の手をひねるほどに簡単なことだっただろうと思います。ついでに、長兄の退職金も巻き上げられていたはずです。

葦書房の完全乗っ取りが成功していたならば、三多をめぐる捏造話はさらに拡大再生産され、わたしや子どもたちにとっては、今以上に耐えがたい思いを強いられることになっていたであろうことは間違いありません。

しかしこの乗っ取りシナリオは、葦書房の存続が絶対条件です。潤沢な資金があった上に、全マスコミの支援を受けていたにもかかわらず、借金を膨張させただけの三原氏を見れば分かるように、葦書房を存続させることは容易ではなかったはず。

三原さんは借金を約2倍近くに膨張させましたが、それと連動してか、葦書房社有の皿山の自宅を担保にした、抵当権設定も2倍に増やしていました。三多の時代にも皿山の自宅は、銀行2社の抵当権が付いていました。

三多は抵当権を外して自宅をわたしの名義に変えたいと言っていましたが、会社はそれどころではない火の車状態。さらには三原さんの代では、抵当をはずすどころか、さらに抵当権設定を2倍に増やしていました。

わたしはこちらの方面は全くの素人ですが、敷地約70平米余、時価最高でも3000万円ぐらいにしかならないはずの民家に、よくも次々と抵当権が付いたものだと不思議でなりませんでした。家は古いので不動産価値は土地のみです。

これも当時の葦書房をめぐる謎の一つです。当時は、三原葦書房を盛り立て、支援しようというマスコミの先導もあり、福岡中が三原サポータになっていたような印象でしたので、そうした流れによるものだったのかもしれません。

ただ三原さんに関していえば、三多が残した遺産であったとはいえ、三原さん以外では、『水俣病事件資料集』や渡辺京二さんの著書の発行も難しかっただろうと思います。となれば、乗っ取り経営の寿命は、三原時代よりもさらに短いものにならざるをえなかったと思います。

しかし、手っ取り早く既存の企業などを奪取して勢力を拡大したいと考えている連中にとっては、奪取することそのものが最大の目的です。こう考えると、三多と葦書房をめぐる異常すぎる事態の展開にも、ある種の整合性が見えてきます。

あらためていうまでもありませんが、創価学会は葦書房とは比較にならないほどの、ステータスのある立派な出版社をいくつも持っています。こんな異常な犯罪に手を染めるはずはありませんし、そもそも考えることすら100%ありえぬことでした。

にもかかわらずわたしは、創価学会批判を展開しておりました。統一教会が、自身を批判する文化人や言論人やマスコミを次々と名誉毀損で訴えているのを見聞きするにつけ、よくも創価学会から名誉毀損で訴えられなかったものだと、冷や汗をかいています。創価学会の寛大さに感謝しつつ、非礼をお詫びします。

つまり背後霊は、創価学会以外の組織であるということです。仮に組織Xと名付けたい。すでに登場ずみの個人のミスターX氏とは別の命名です。

出版社を狙うということは、単に目先の利権だけではなく、日本の言論空間をも手中に収めたいとの、恐るべき野望をもった勢力が暗躍していたということです。日本人の集団ではありませんね。少なくとも日本人が主体の集団ではないことは明らかです。

しかも、本稿「1.異様な事件の背後を探る」で例示したような、病院外でも頻発した異常事に関与したか連携していたと思われるような勢力です。

この異常な犯罪は、後継者を捏造するという、まず通常ならば日本人では考えつかないようなシナリオをもとに展開されてきました。ここにマスコミがバックで支え、現役の医師が重要な役割を果たすとともに、著名な文化人までもが、おそらく知らぬ間に加担させられるという大がかりなものでした。

重要な役目を担った二ノ坂氏ですが、一人の医師として考えるならば、違法行為を犯してまでこんな犯罪に加担することはマイナスでしかないはずです。にもかかわらず、二ノ坂氏が非常に積極的に加担したということは、日本人の医師であるという表の顔とは別の顔、別の世界観、別の価値観を持っていたからではないか。

表の世界では異様すぎる違法行為であっても、裏の価値観で動く世界では、むしろ使命を果たしたと評価されるのではないか。そうとでも考えなければ、二ノ坂氏の医師としての余りにも異常すぎる違法行為は、まったく理解不能です。

とするならば、その「裏の世界観」「裏の価値観」とは何かが問われるべきだと思いますが、「裏」とは、一言でいえば「非日本的」「非日本人的」と読み替えてみたい。とはいえ、今の日本人は、少し前までの日本人と比べてみても、全く別種の人間かと思うほどに変わり果てた人々もいますが、今それは問いません。かつてはごく普通にあった日本人的価値観、にあらざる価値観のことを「裏」と表現しました。

4.組織Xとは何か

統一教会は、戦後の60年代後半から今日まで、延々と日本の政治の中枢に食い込み、ひそかに日本政治に影響力を行使していたことは、昨年の山上事件で暴露されたばかりです。もっと極小地点に限ってみても、わたしが勤めていた純真女子短大(現純真学園)の中枢にも、統一教会が食い込んでいたことはすでにご報告したとおりです。

同じような時期に、福岡県八女市にある西日本短大も統一教会の乗っ取りに遭ったらしいので、教育関係も統一教会のターゲットにされていたわけですが、大学を乗っ取るとは、統一教会の組織力、行動力は日本人単独ではちょっと真似ができないほどの力があります。

これらの短大が、今なお統一教会の配下にあるのかどうかは不明ですが、どちらの大学、短大(純真学園、西日本短大)にも、看護や理学療法士などの医療関係の人材育成コースがありますので、医療機関への浸透も容易になります。統一教会は一旦手にした獲物を簡単に手放すとは思えませんし、三つ目、四つ目のドジョウを狙う可能性もゼロではありませんね。

ところでここで注意を促したいのは、統一教会は韓国そのものであり、韓国を象徴したものであり、韓国社会の価値観をそっくりそのまま体現した組織であり、存在だということです。特に対日関係では、両者の価値観は寸分違わないといっても過言ではないはずです。

韓国政府が国民を洗脳する反日教育は、統一教会が信者にたたき込む反日教義とそっくりです。教祖への絶対服従や恋愛禁止などはさすがに韓国社会にはありませんが、反日をベースにするならば、韓国そのものが巨大な統一教会だと見なすことも可能です。

つまり、時と場合によっては、両者は相似形になりうるということです。統一教会の悪事については様々暴露されておりますが、似たようなことを非統一教会員の韓国人も実行する可能性はあるということです。統一教会ではない、伝統的なキリスト教系の信者であっても、その可能性はゼロではありません。

現在の尹 錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は、歴代大統領とは異なり、かなり親日的で理性的な対応をされているようですが、異常な反日教育が廃止されないかぎり、その姿勢の変化を本物だと受け取ることはできないはず。

目下の日本では、かつて一度もなかったような統一教会に対する強力な批判、反感が覆っています。韓国大統領としては、これ以上の反韓感情が日本で拡がることを阻止する必要があるとの判断が働いるのではないか。もちろん、統一教会への配慮によるものです。加えて、経済の低迷という事情もあり。

とんでもない。そんな打算によるものではないというのであれば、韓国政府は自国民に対する異常な反日教育を廃止して、その姿勢大転換の真正さを証明すべきです。

<9/10 追記> 福岡経済界は日韓トンネル推進

そういえば、かなり前から、福岡経済界は日韓トンネル推進を表明していました。わたしは、こんな日本には何一つ利益をもたらさない愚策は、韓国政府からの働きかけで始まったものとばかり思っていましたが、山上事件の関連記事で、統一教会が推進していることを知って驚愕しています。

しかも、当時は存命であった文鮮明教祖が特に力を入れている事業であったことを知って、驚きは倍々化。当時の福岡経済界は、統一教会と関係をもっていたことになりますので、統一教会はそこまでの工作力があったのかとの驚きです。

日本の政権中枢をも籠絡するぐらいですから、地方の経済界を籠絡するぐらい簡単だろうとは思うものの、政権中枢よりもより身近なので驚きは倍々化。

ただ、何時頃からか、福岡では日韓トンネルの話題はほとんど聞かなくなっていましたので、この古い話題も忘れていましたが、葦書房をめぐる異変多発時頃はこの話はまだ活きていました。

 

<8/16 追記> 両班の衣装で韓国人が葦書房に来訪

ところで、事件、事故ではありませんが、韓国関連のあるエピソードをご紹介します。

葦書房の事務所が赤坂にあった頃、二人の韓国人男性が来社されました。お二人は驚いたことには、頭に黒い傘(帽子?)、白い上着に黒いふんわりズボンという、写真でしか見たことのない、朝鮮王朝の両班(ヤンパン)そのままの衣装を身につけて来訪されました。

もうびっくり仰天。当時スマホがあれば即撮影ですが、スマホは影も形もない頃でしたので、残念ながら写真は撮れませんでした。お二人は1600円のある本を購入してくださったのですが、購入される本について少しお話しされた以外は、話らしい話もなさらずにお帰りになりました。両班衣装を身につけておられなければ、韓国人だとは分からなかったはずです。

天神など他でも両班衣装の韓国人男性が歩いていたならば、多少なりともニュースになるはずですが、そんなニュースもありませんでしたので、他では両班衣装でのお出ましはなかったのかもしれません。

また、本の購入だけが目的ならば、本屋さんに注文する方が簡単です。しかも1冊の本を購入されるのに、両班衣装を身につけた二人の韓国人男性がわざわざ来社されたというのは、単なる趣味道楽ではなく、何か意味があったように思います。

とはいえ、その意味が何なのかは分かりませんが、ひょっとして、韓国や朝鮮王朝文化をアピールするためだったのかもしれません。今思い出しても不思議な光景ですが、葦書房の事務所で韓国を強く意識させられた出来事でした。

四国八十八カ所大日寺

さて続いては、徳島の大日寺の話題に変わります。
韓国舞踊家の金昴先(キン・ミョウソン)氏が、住職であった夫が亡くなった後住職になった、四国八十八カ所の一つである大日寺をめぐる不可解事も、韓国人が関与しなければ起こりえない騒動です。この騒動の概略は以下のとおりです。

金昴先氏は、1996年 大日寺の大栗弘榮師と結婚 1998年 長男 弘昴(こうみょう)さんを出産
2007年 住職死去、葬儀は行われぬまま埋葬。死因は脳梗塞だとされていますが、お寺の住職が亡くなったのに葬儀も行われないという異常さです。葬儀が行われていないので、遺体と対面した人は金氏以外にはいません。

第三者で遺体と対面できたのは、死亡診断書を書く医師だけですが、医師は遺体を直接診断して死亡診断書を書いたのでしょうか。あるいは死亡診断書なしで埋葬?死亡診断書がなければ埋葬できないはずですが、徳島市では金昴先氏に対しては、超法規的にフリーパス状況なのでしょうか。

数々の疑惑を抱えたまま、金昴先氏は平然と住職を継ぐ。弘昴氏は父親の死後すぐ、アメリカ留学。教育は全てアメリカ。ただし、弘昴氏はカルフォルニア大学在学中に1年間休学し、高野山大覚寺にて修行、僧職の資格を取得。米大学に復学、卒業後、2021年帰国、住職を継ぐ。

非常に不可解なのは、金昴先氏はロクに仏教の勉強も修行もせずに住職になれたということですが、以下のブログによれば、金住職は、お盆の棚経の檀家回りなどは、代行僧侶にお任せらしい。それでも住職OK!

四国がやられっぱなし?その1(「まさか、右翼と呼ばないで!」)

それどころか、金氏は徳島市の観光協会の理事。2013年には徳島県文化功労賞表彰、徳島県あわ文化親善大使任命、徳島では特別待遇を受けています。

さらに驚いたのは、上記のブログによれば、大日寺は、文化庁が公開している宗教年鑑には登録されていないとのこと。

文化庁のHPで確認したところ、公開されている「宗教年鑑」の該当箇所(「年鑑」の130ページ、PDFの146ページ)を調べると、
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/r04nenkan.pdf
徳島の大日寺(真言宗大覚寺派)は記載されていません。

しかし同じ大日寺名のお寺、高野山真言宗 大日寺が掲載されていました。同寺は東京都渋谷区にありますが、住職の大栗道榮氏は、高野山真言宗傳燈大阿闍梨大僧正という高僧です。奥様の大栗妙喜さんは副住職。

派は違え同じ真言宗、お名前も一字違いでご兄弟かと思うほどに酷似していますが、両寺の仏教寺院としての活動は、ずいぶん違うなあというのが正直な感想です。

東京の大日寺、高野山真言宗 大日寺のサイトをご覧になればお分かりのように、仏教寺院としての活動を積極的に展開されています。一方、徳島の大日寺は、アメリカ帰りの息子が母親から住職を継いだようですが、なんとお寺をジムに!

徳島 お寺にジム!? 筋肉トレーニングで心も体も健康に! 2023年06月21日 NHK徳島

上記のNHKの記事は、非常に好意的に紹介しています。徳島では、先の統一地方選挙では、統一教会の信者であることを公表した議員が当選していますので、統一教会的=韓国的な異常さにも余り抵抗はないのかもしれません。NHKは抵抗感払拭にも力を貸しているのでしょう。

しかし特別に偏見を持たずとも、お寺でジムを開設するとは余りにも異常すぎませんか。そもそも現住職の大栗弘昴氏は、日本のお寺の住職になるというのに、日本で仏教の勉強もしていないようですし、本山で1年間修行しただけで、通常の教育ですら、日本では受けていません。

弘昴氏は、長期移住のアメリカから帰国するや母親から住職を継ぐ。今後は、この方式で日本のお寺を奪取しようとの前例作りではないのかとさえ思います。仏教修行をせずにジム経営に精を出す。仏教を知らずとも住職になれる。代行僧侶を雇えばそれでもOKよ。

この大日寺が蟻の一穴になって、四国のお遍路文化や宗教的な伝統が破壊されないことを祈るばかりです。
と、これ以上この件に字数を割くと、本来のテーマから外れますのでこの辺で止めますが、金母子の大日寺の継ぎ方やお寺の運営の仕方は、日本人では100%ありえぬ異常なものであることは誰も否定はできないと思います。

この大日寺の異常さと、葦書房やわたしが遭遇した数々の異常な出来事とは直接的には繋がってはいませんが、韓国人が絡むと、日本人には想像もできないような異常なことが起こりうるということです。

もちろん、個々の韓国人はこうした異常さとは無縁の方も多いと思います。わたしも仕事先で知り合った、誠実で仕事熱心な韓国人の顔を思い浮かべると、こうした韓国人批判も書けなくなりますが、韓国人個々の問題ではなく、韓国の社会や国家をベースにしての批判です。

こうした韓国批判は、わたしがある頃から、組織Xとは、韓国人が絡む集団ではないかと考えるようになったことと密接に関係しています。

韓国人は、何世代にもわたって受け継がれてきた、反日教という巨大な宗教教団の信者とも見なしうる、非常に特殊な民族的特性をもっていますので、特定の組織や団体に属さずとも、反日教信者として即団体行動を実行する特性を持っています。中国人も強力な反日教育を受けていますが、反日教信者としての結束力は韓国人の方がはるかに強い。

わたしの経験や大日寺の例は特殊であり、日茶飯事にあちこちで発生しているとは思われません。しかし特殊であるがゆえに、通常は表面化していないものの、時と場合によっては特殊事例が発生しうる潜在的な危険性を孕んでいるということです。

つまりわたしや大日寺のような事例は、時と場合によっては、多少は形を変えながらも他でも起こりうるということ、他人事ではないということです。

5.ネット空間の異変

この長い連載を書きながら、ここ最近、かつてはありえなかったような異変が、ネット空間にも発生していることを痛感しています。

その最大の異変は、数ヶ月前、あるいは1,2年前まではごく普通に検索に出ていた記事が、全く表示されなくなっていることです。

わたしは統一教会批判をかなり繰り返し書いてきました。当時、情報確認のためにネットで検索したところ、西日本短大と統一教会との関係を詳細に報道した記事をいくつも見ましたが、現在では、関連情報は全く検索では出てきません。ChromeでもBingでも同じです。

もちろん、テレビや新聞などのマスコミが報道した統一教会の関連情報は沢山出てきますが、玉石混淆だったとはいえ、かつてはネットの独壇場でもあった、マスコミが報道しないディープな情報はほぼ削除されていますね。

徳島の大日寺関連でも、1,2年前までは大量に公開されていた記事類はほとんど消えています。検索欄にズラリと並んだのは、金住職を称えるような記事ばかり。

やっと見つけたのが、上記でご紹介した四国がやられっぱなし?その1ですが、正直なところ、これまでなら素通りしたような素人っぽい感じのブロです。ただこれは、ずっと読み進めると、徳島のお寺関係者の談話も収録されており、非常に参考になりました。

もう一つ、徳島の韓国人女住職に苦情・金昴先率いるチマチョゴリ阿波踊り・大日寺と姉妹血縁の曹渓宗は反日組織
を見つけたのですが、視覚的な印象の悪さが強烈で、韓国人住職批判をするのはこんな怪しげなブログだけだ!と、批判者を貶める効果抜群のブログです。

わたしもパッと見た段階では、誰も読む気がしないのではないかと、ご紹介するのをためらったほどですが、読んでみると、マスコミが報道しないディープな情報が満載です。ただし、今や超希少ですが、以前はこの種の情報はネット上に多数ありました。

ただ、わたしが紹介したことがあだになって、これらのブログも消されるかもしれません。おまけに、それらの希少なブログをご紹介している当ブログは、検索には出てこない可能性が非常に高いのがつらいところです。しかし、ご紹介した方がプラスになるかと思い、ご紹介しました。

また、現住職の弘昴氏の履歴を確認しようと検索したのですが、Googleでは全く出てきません。それどころ、「徳島 大日寺 大栗弘昴 履歴」で検索したにもかかわらず、弘昴氏関連記事は、先にご紹介したNHK徳島「お寺にジム開設」のみ。他は母親の、前住職金昴先氏を褒め称える記事がズラリ。

同じく検索制限はあるものの、MSのBingの方がまだ情報は多く、Bing検索を参考にしながら書いています。Googleが、特定領域において、露骨に検索制限を加えているのは明らかです。特に弘昴氏の経歴については、秘匿扱。Bingもその影響を受けています。

さらに続けますと、二ノ坂氏が受賞第一号となった「福岡市市民国際貢献賞」に関する情報についても、ネット検索の結果はほぼゼロ。賞を創設した吉田宏氏で検索しても同様です。おそらく同賞は、ニュースでは全く見聞きしないので、現在は廃止されているのだと思いますが、過去のものというだけで検索から排除されることはありえません。

加えて、「二ノ坂保喜」で検索すると、二ノ坂氏の業績を褒め称えるような記事がズラリ。日本医師会が主宰する「赤ひげ大賞」を二ノ坂氏が受賞した記事は、繰り返し繰り返し表示されます。

「二ノ坂保喜+葦の葉ブログ」で検索すると、どちらのブラウザでも一つ表示、「二ノ坂保喜+事実は小説よりも奇なり」で検索すると、「二ノ坂保喜+葦の葉ブログ」よりはやや多いものの、どちらのキーワードも、当サイトで二ノ坂批判を展開していることを知っている人でなければ考えつかないワードです。

当サイトを知らない人が「二ノ坂保喜」の検索で偶然知ったという、検索本来の機能は全く使えない仕組みになっています。お前のサイトは二ノ坂氏の知名度に比べて圧倒的に低いので、検索に引っかからないのだといわれそうですが、ほんようにそれだけなのか疑問を感じています。

二ノ坂氏や大日寺の金住職などを守護し、褒め称える強力な意思が目下のネット空間を制御しているのは明らかです。制御しているのは、もちろん日本政府ではありません。ではいかなる勢力によるものなのか。

ChatGPTの登場で、わずか数ヶ月の間でネット検索が大きく様変わりしましたが、わたしが指摘したネット検索の制御は、検索システムの変化に起因するものでないことは明らかです。また、Googleによる検索制御はChatGPTの登場以前から始まっています。

確かに、ロボット検索よりもChatGPT検索の方がはるかに制御しやすいはずですが、いずれの方式でも、検索制御は、運営者の判断がなければ起こりえないことは言うまでもありません。

つまり、GoogleやMicrosoftという世界の超大企業に検索制御を要請しうるほどの力の存在を想定せざるをえないということです。アメリカ政府でないことはいうまでもありません。では誰か?

そういえば、Googleは、主力の検索事業に比べるとまだまだ弱いといわれているサーバー事業で、日本政府という超優良な顧客を獲得しました。

官邸のサイトがGoogleのサーバーで運用されていますが、安倍政権時代にその方針は決まっていたのかもしれませんが、サイトが大幅に刷新され、新サーバーでの運用が始まったのは管政権時代です。岸田政権でもそのまま踏襲。

また、ChatGPTが登場間もなく世界中で大ブームになりましたが、EUなどからは懸念が表明される中、日本政府は早々と、ChatGPTを政府御用達ツールとして利用することを表明しました。

その前後に、ChatGPTの生みの親であるOpen AIのCEOが唐突に日本を訪問。この訪問が、日本政府にChatGPTの利用を決定づけたかのような印象を受けますが、ただの営業でOpen AのCEOが日本や各国を訪問することなどありえません。事実、CEOが、早々と訪問したのは日本のみ。

これは、特別のルートを使っての働きかけがあった結果であることは明らかです。当然のことながら、日本政府にChatGPTを採用させるという、確約付きの訪日であったと思われます。

そして先日、ChatGPTの運用では先行しているMicrosoftとOpenAIが共同で、日本政府御用達のChatGPT運用開始が発表されました。

わたしはこのニュースを知って、心底驚きました。政府機関で、国会答弁作成にChatGPTを利用することはすでに発表されていましたが、まさかその運用をアメリカ企業に委託するとは夢想だにしていなかったからです。

ChatGPTについては、日本企業も世界的なChatGPTブームとほぼタイムラグなしに、日本語に特化した日本語版ChatGPTを開発しています。
日本語に強い和製生成AIモデルが誕生! 日本屈指のAI企業が描く社会実装の舞台裏【日経BP】

上記のIT企業以外でも、NTTなどの大企業やベンチャー企業などでも日本語版を開発しています。

日本政府は日本製を使えという短絡的な理由で危惧しているのではありません。国会答弁という、国家の機微にも触れる可能性のあるデータを大量に使うAIシステムの運用をアメリカ企業に委託するということは、それらのデータもそっくりそのままアメリカ企業に委託することになるはずです。

あるいは官僚の皆さんが自ら、ChatGPTに国会答弁用データを読み込ませて使うなら問題ありませんが、MicrosoftとOpenAIに委託するとは、世界中探しても日本以外にはないと断言します。

日本は政治家も官僚も世界に類がないほどにIT無知、AI無知ですので、与野党とも誰も何も感じないのだと思いますが、外部に委託してAIに国会答弁作成を学習させる場合、その実務の担い手は誰か分かりません。ブラックボックスです。

ただ、本連載では本題からはずれますのでこの問題にはこれ以上深入りはしませんが、日本政府は、検索最大手のGoogleと、ChatGPTを使った検索で先行するMicrosoftととの間で、ほぼ独占的に仕事を発注していることを確認しておきたい。

これらアメリカの超大企業が日本政府からの仕事を受注するに際しては、仲介者がいたのではないか。特にGoogleはいつの間にか、官邸のサーバーを受注していました。ひそかな受注には仲介者は不可欠ではないかと思います。

Googleはその仲介者の意向を受けて、露骨な検索制御をしているのではないか。Googleにとっては、未だ発展途上のサーバー事業にとっては、日本政府はまれに見る大口顧客あり、言いなり料金が通用するこれ以上ない優良顧客です。

Googleは、こんな優良顧客獲得に力を貸してくれた仲介者の要請なら、全てOK状態なのではないか。Googleの異常な検索制限には、こんな推測以外にはその理由は想定することすら難しい。あるいは、理由はもっと単純で、Googleの検索担当技術者集団が、検索制限を望む勢力の仲間かシンパなのかもしれません。

ということで、わたしのきわめて特殊な個人的な異常体験は、ネット検索の不正な制御問題にもつながっています。特殊な問題は、特殊な領域にのみに限定されてはいないということを、あらためて訴えたいと思います。

今日はお盆の15日。少し体調を崩していたこともあり、一気呵成に書き上げることはできず、ぼつぼつ書きためてきましたが、お盆のうちにこの連載を書き上げ、完結できたことにほっとしています。

6.<追記8/16> 死因は飲酒ではない

大事なことを書き忘れておりました。見出しにも書きましたように、三多の死因をめぐる問題についてです。三多の死因については、酒の飲み過ぎが肝臓ガンの原因であるかのような話が意図的に広められいます。

佐野眞一氏の『誰が「本」を殺すのか』は、捏造された飲酒原因説を異様に膨らませた究極の事例です。本書では、事務所内で昼日中からグデングデンに酔っ払っている、異常きわまりない三多の様子が描かれていますが、もちろん完全な捏造です。

佐野氏が誰か社員一人にでも取材をしていたのであれば、こんな大捏造話は書けなかったはずです。仮に三多に不満を持っている社員であったとしても、取材されて、こんなありもしない捏造話をするはずはありません。

本書はノンフィクションとして売り出されていましたし、著者の佐野氏は有名なノンフィクション作家です。当然のことながら、読者は誰も本書の内容は事実だと頭から信じます。

久本三多は昼日中から仕事場で酒を飲み食らって、グデングデンに酔っ払っていたという捏造描写によって、三多の人格を貶め、三多の実像を、ありもしない全くの別人として大捏造して世に広める役目を本書は果しました。大ベストセラーになりましたので、本書による捏造話の拡散力は加速度的に高められました。

三多は情の深い人でしたが、非常に理知的な人でした。情の深さについては誰もが感じられるかどうかは難しいところですが、非常に理知的な人間であったことについては、三多と接した人は、おそらくほとんどの人が同意してくれるはずです。佐野氏の描写からは理知のかけらも伝わってきません。

わたしは本書によって、「ノンフィクション」という商品の、フィクション手法を使った生産工程の実相を知りました。ノンフィクションの対象であっても、作者、あるいはクライアント等の望むイメージにはめ込んで描写する。その際、事実よりも望まれるイメージが優先される。

本書に登場させられた三多は、まさにフィクションそのもの。わたしは、三多の死後、捏造話がまき散らされる異様な光景を見せつけられて、うかつに死ねないと心底恐怖を感じました。自分の死後、捏造話がまき散らされるかもしれないという恐怖は、死そのものへの恐怖よりもはるかに大きいことを実感しました。

この恐怖から免れるために、わたしは、捏造に関与した連中よりも長生きしてやると心に強く誓いましたが、よくよく考えると、背後には永続し続ける組織Xがいるかもしれない。となると、わたしの寿命などは全く無意味です。ただ、わたしは三多のような有名人ではないので、死んだからといって捏造話をまき散らされる心配はないだろうと思いますし、わたしのこのブログも捏造話の拡散阻止にも多少は役立つかもしれません。

なお、わたしは本書のあまりにも酷い捏造を看過できず、著者の佐野氏と版元の新潮社を、名誉毀損で訴えました。本来ならば、家族として訴えたかったのですが、わたしは法的に籍を抜いていますし、子どもたちをこんな異常事には巻き込みたくなかったので、葦書房の法人代表として提訴しました。

弁護士に依頼する余裕がなかったので自分で裁判しました。最高裁まで上訴しつづけましたが、わたしの敗訴が確定。捏造話をまき散らした当事者は一切責任は問われず、捏造話をまき散らした方が勝ち。言論の自由の大天下です。

<8/17 追記> 裁判の不公正感はぬぐえず 

他にもいくつも裁判をしましたが、裁判所までもが特殊な勢力の影響を受けているのではないか、と思いたくなるような判決をいくつか経験しています。素人ゆえの裁判技術のまずさも原因かもしれませんが、日本語でとことん考え尽くしても、余りもの不公正さ感は拭えぬままの判決もいくつかあります。

なお、三多の肝臓ガン(正確には浸潤性肝細胞ガン)は飲酒が原因ではないことは、主治医がはっきりと明言されていました。その原因についてはこの公開の場には書きませんが、その真因については、主治医以外では、わたしと三多しか知らないはずです。

<8/17 追記>物品紛失は引っ越し前

もう一つ、大事なことを書き忘れていました。連載冒頭にご紹介しました、引っ越し時に、ある意味をもった物品(成りすまし用アイテム類)は、引っ越し後に紛失したのではなく、引っ越し前に紛失しております。

引っ越しから時間が経ってこの事実を知ったこともあり、ショックを抱えたままブログを書いておりましたので、引っ越し前だったのか後だったのかの見極めがついていませんでしたが、冷静になった今思い返すと、引っ越し後にはすでにこれらの物品はありませんでした。

混乱時にはこんな単純な事実にすら気がつかなかったわけですが、引っ越しの準備をする前にはこれらの物品の所在は確認しておりましたので、実際に梱包に着手するまでのわずかな間(2~3日)に消えたということになります。まさにミステリー。

成りすましといえば、引っ越し前の自宅のすぐ近くに「久本」姓の方が住んでおられることを、偶然にも引っ越し直前に知って、びっくり。仕事関係先にも「久本」姓の方がおられることを知って、びっくり。わたしの回りに「久本」姓の方が急に増えているような気がします。その方々に、「一魔」という名のお子さんや家族の方がおられるのかどうかまでは確認できていません。また、引っ越し先にも「久本」姓の方がおられるのかどうかは、今のところ、不明です。

事実は小説より奇なり