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<strong>中韓の相似と相違</strong>

2015-10-30の「葦の葉通信10号ー2中韓の相似と相違」より、一部追記して転載。

日本の支援でボスコ建設

 前号9号「3 朝貢外交の今昔」で、西日本新聞に掲載されている、元新日鉄社員だった鈴木則夫氏の、韓国の浦項(ポハン)総合製鉄所(現ボスコ)建設時の支援体験聞き書きシリーズで、韓流捏造がなされていると書きましたが、偶然なのかどうか、9号公開後間もなく、日本側資料を基にした詳細な事実が語られ始めました。新日鉄と合併する前の富士製鉄の資料を基にしたものですが、韓国ではもとより、おそらく日本でも公の場では語られることはなかったであろう事実が明らかにされています。捏造で貫徹されるはずだというわたしの予測が外れたわけですが、喜ばしい限りです。

 当初、浦項総合製鉄所は、日本ではなく欧米の協力を得て建設する予定で、朴大統領(現朴大統領の父親)は「総合製鉄所建設事業推進委員会」を設立し、アメリカや西ドイツなどの欧米5か国の企業8社のコンソーシアムKISA(対韓国際製鉄借款団)と契約を交わし、世銀の承認を得て、各国の輸出入銀行から融資を受ける計画を立てていたという。1968年4月のことです。

 しかしKISAによる総合製鉄所建設企画案は、韓国自身では作成することができず、韓国の建設委員会は日本の富士製鉄、八幡製鉄、日本鋼管の3社(ジャパングループ、JG)とコンサルタント契約を結び、KISAに提出する企画案を作成したという。のみならず日本の鉄鋼各社は、韓国で直接技術指導すると同時に、韓国から実習生受け入れ、研修までさせたという。ちなみに、浦項総合製鉄はKISAとの交渉時の1968年4月に創設されたそうですが、創立時の社員はたったの39人だったという。

 人材もゼロ、何もない中での大構想が、泥縄式で日本に協力要請がなされて始まったのですが、当然の結果というべきか、世銀の反対でKISA計画が頓挫。そこで韓国は、日本に製鉄所の建設そのものを依頼し、鉄鋼メーカ(JG)がグループで支援することになったという。1969年の年末に日韓閣僚会議が開かれ、資金調達に関する協定が結ばれたという。日本政府の支援も得て、浦項総合製鉄所建設がやっと動きだしましたが、資金、技術支援のみならず、人材育成も全て日本が担ったといっても過言ではりません。 

 その第1期工事が始まったのは1970年4月、JGだけで140人、プラントメーカーや建設会社からも数百人が派遣されたそうですので、日本人技術者たちの数は韓国人社員の数十倍!当然のことながら、日本人技術者たちは、単に技術アドバイザー役を務めただけではなく、建設作業そのものも実質的に担ったといっても過言ではないはずです。

建設資金は鈴木氏によれば、65年の日韓基本条約締結により、日本が支払った無償3億ドル、有償2億ドルの資金が当てられたとのことですが、この建設資金については、浦項製鉄所建設に奔走した初代社長の朴泰俊氏(2011年死去。旧制麻布中、早稲田大機械工学-科出身)にインタビューした中央日報(2008/3/26)の記事<「新日鉄の支援なしに今日のポスコはない」朴泰俊名誉会長>によれば、「(無償) 3億ドルのうち、当時使って残った金額は7370万ドルだった。 さらに日本輸出入銀行から5000万ドルを借り、本格的な工事を始めることができた」という。

 日本は敗戦により、GHQの試算でも53億ドルにも上る韓国内の資産を放棄した上に1965年の日韓基本条約締結に伴い、無償3億ドル+有償2億ドル+3000万ドル+5000万ドル、民間による円借款3億円の合計8.8億ドルの資金援助をも実施しましたが、韓国国民の個人補償にも使われるべきであった無償3億ドルが、事業らしい事業も実施せぬまま、わずか2年経つか経たないうちに2億3000万ドル近くも使われてしまっていたとは驚きです。

事業らしい事業もしないまま消えた2億3000万ドルもの資金は、当時の朴大統領をはじめ政権中枢の政治家の懐に入った可能性は非常に高い。韓国民は、日本に次々と不当な要求を吹っかけてくるのではなく、日本から提供された資金の行方、使い道を調べるべきではないですか。

当時の韓国の国家予算の数倍に当たると言われていますので、日本から提供された資金がいかに巨額であったかにあらためて驚かされるますが、日本から得たその巨額な資金は使途不明なまま使い果たしてしまった。そこで朴大統領は、欧米(世銀)にも頼ろうとしたのだろと思われますが、欧米は日本のようには甘くはない。そこで再び、日本に頼る。

 韓国に対して、欧米のどこも技術支援はもとより、一銭の融資もしてくれなかった中で、日本は、あらたに5000万ドル融資したことになります。しかも技術協力は、それによって生み出される富を考えれば、実質的な支援額は、当初の額面額を無限大に拡大した額になります。

日本は日韓請求権協定とは別枠の新たな支援を加えて、韓国経済の成長を牽引していくことになる、鉄鋼所(ボスコ)建設の支援をしたことになりますが、韓国人にはこの事実も知らされていません。

娘の現朴大統領も、父親と一緒に浦項製鉄所の建設現場を視察している写真が掲載されていますので、朴氏も日本の無償、無限の貢献を知らないはずはありませんが、朴大統領は、こうした事実を完全に隠蔽しています。

 戦前、日本の統治下(植民地)時代、朝鮮総督府(日本政府)は、石炭などの鉱物資源が豊富な朝鮮半島北部(北朝)を重工業地帯として開発し、銑鉄から鉄鋼製品の製造までの一貫製鉄所なども建設しましたが、それらの施設は今も北朝鮮で稼働中です。南部(韓国)は軽工業が中心になっていた関係上、韓国には規模の小さい製鉄所はありましたが、総合製鉄所はありませんでした。 

 そこで朴大統領は大構想を計画したわけですが、この計画が浮上したのは、1968年、韓国が日本から独立してから23年も経っています。20年という歳月は、全国民とまではいかなくとも、少なくとも各分野でのエリート層の育成には十分すぎる歳月です。

しかし、韓国が総合製鉄所の建設はもとより、KISAに提出する計画案作成すら日本に全面的に依存せざるをえなかったということは、そのエリート層すら育っていなかったことを証明しています。この間、1950年から1953年まで朝鮮戦争があったとはいえ、独立後の韓国では、まともな教育がなされていなっかたことは明らかであり、韓国の独立後の教育の貧弱さを証明しています。

 李承晩初代大統領(1948年―1960年)以来、現朴大統領に至るまで、韓国の教育の最大の目的は、捏造歴史による反日教育におかれてきましたので、時代の要請に対応できる、基礎的な能力を育てる教育はほとんどなされてこなかったのでしょう。つい先日、『帝国の慰安婦』を書いた、朴裕河(パクユハ)教授は、元慰安婦たちによる名誉棄損の訴えを受け、韓国の検察に名誉棄損で起訴されたという。

検察は、秩序の維持のためには、言論の自由も学問の自由も制限を受けるのはやむをえないと、起訴の理由を示しているという。産経新聞の加藤達也前ソウル局長起訴で、すでに韓国政府の露骨な言論弾圧姿勢はあらわになっていましたが、さらに強化されつつあるらしい。異論を許さぬ韓国の偏狭さは韓国の伝統そのものだともいえますが、その偏狭さが韓国人の思考の自由を奪っていることは、イスラム教徒の思考の偏狭さと共通したものだともいえそうです。

 2年ほど前、韓国のソウル大学では、ノーベル賞級の世界の碩学を招聘する事業を開始しましたが、その第一号としてアメリカのノーベル経済学賞を受賞したニューヨーク大学のサージェント教授を年俸1億5000万円の2年契約で招聘し、講義が始まったものの、教授は突如、理由も告げず任期途中で帰国し、2年目の教授の授業はキャンセルされたという。1年ごとの契約だったので、キャンセル料は発生しないそうですが、いくら破格の報酬でも、韓国では教えたくないという事情があったのだろうと思われます。 

 当初の予定ではサージェント教授に続いて、同じくノーベル賞受賞者のイスラエル工科大学のアーロン・チカノーバー教授、アブラム・ハーシュコ教授、ダニエル・シェヒトマン教授が碩学講座を担当する予定になっていたことが報じられていましたが、サージェント教授のドタキャン以降、韓国での世界の碩学講義は実施されていない模様。いくら超破格の報酬を示されても、韓国では教えたくないというのが、決して公にはされないものの世界の碩学の共通した思いなのかもしれません。

そのうち、欧米がダメなら日本人ノーベル賞学者を呼ぼうかということになるかもしれませんが、韓国がまずなすべきことは、自由で柔軟な思考を育む環境を作ることです。耕していない固い土壌では、いくら肥料を与えても植物は育ちません。人間も同じです。韓国は世界的に優秀な民族だとの思い込みや、政治的な強い規制で縛られた中では、基礎的な能力すら十分には身につきません。

 無人機をめぐっても興味深いニュースがありました。アメリカでは軍や国家機関の技術の一部が民間に開放され、それらの技術を使った事業が商用化されていますが、数年前、その放出技術の一つだと思われる、無人機技術を使った新種の商売が始まりました。設計図を無料で公開し、部品を買わせるという事業です。おそらく、最新機からするとかなり型落ちしたものだろうと思われますが、無人機の基本性能は当然、備わっているはずです。

数年前、この設計図無料の無人機を、韓国軍が導入することを発表しました。アメリカ軍の無人機の完成品は余りにも高価で購入できないということで、部品を購入して自ら組立てることにしたとのことでした。しかし以来、今日まで韓国で無人機が作られたとの情報はありません。韓国領内で無人機が墜落したというニュースはありましたが、韓国は北朝鮮から飛んできたものだと発表しています。しかしおそらくこの墜落無人機は、設計図を見ながら韓国が自作したものの失敗したものだと思われます。

 そうこうする内に、中国では中国軍が無人機を自作し飛ばし始めただけではなく、民間企業でも無人機が製造されはじめ、中国産の無人機がまたたく間に、日本企業未参入の日本の無人機市場を席捲してしまいました。おそらく中国軍も民間企業も、このアメリカの無料設計図を大いに参考したのではないかと思われます。韓国人はいくら部品が揃っていても、抽象的な設計図だけでは製品を完成することはできないけれど、中国人は部品と設計図さえあれば製品を完成させることができたわけです。あるいは中国は設計図だけで部品も自前で調達した可能性はあります。

 もともとDNA的に思考の幅が非常に偏狭な韓国人は、根本的な大革命でも起きない限り、この差は永遠に埋まらないはずです。日本企業はタダの設計図で無人機を作ろうとはどこも考えないでしょうし、物がモノなので、危険回避のための法整備をまってからと躊躇していたのでしょうが、法も何もおかまいなしの中国企業は、無人機商戦の最初の勝者になりました。

 しかし無人機は空飛ぶパソコンと言われていますので、パソコン製造技術、IT技術があれば、基本形の製造はそう難しくはないはずですが、世界のIT市場を席捲しているはずの韓国企業が総力を結集しても、無人機製造には成功しなかったようです。韓国人の応用力の欠如を物語っています。

浦項製鉄所建設でも見てきたように、日本はこの韓国に対して、日本以外のどこの国も絶対にしないような最先端技術を手取り足取り、懇切丁寧に伝授してきました。日本は日本政府自らが旗を振って、日本企業を窮地に陥れるような技術移転を韓国に対して延々と続けてきたわけです。

その韓国の日本への返礼が、世界で展開する日本叩きと、慰安婦像の増殖です。日本の政治家と外交官の無能無策な無能力を語って余りあります。安倍政権は、歴代政権のこの悪弊を断ち切ってくれるのではないかと期待していますが、それも支持率如何でどうなるか分からいないというのが現実です。

 ところで、鈴木氏の聞き書きシリーズには、韓国以外にも製鉄プラント建設に協力したことも紹介されていますが、韓国への支援は格別であったとも書かれています。韓国での第一期工事が完成したのが1973年6月ですが、おそらく日本の韓国支援を見て、中国政府が動き出したのでしょう。

中国でも鉄鋼所建設支援

1972年8月に、日本の経済団体の団長として訪中した当時の新日鉄の稲山嘉寛社長に対して、中国政府から武漢市の製鉄プラント建設の要請がなされたという。その一ヶ月月後に、田中角栄元首相による日中国交回復と日中共同宣言が実現したのでした。新日鉄は、武漢のプランに続き、上海での銑鋼一貫製鉄所の建設にも協力することになったという。 

 鈴木氏が直接関与しなかったからか、中国に関してはわずか数行しかなく詳細は不明ですが、日中国交回復に際して、日本は表には出さない裏援助として中国に有償無償の巨額資金の提供と技術支援を約束したことは、一部では知られているとおりです。武漢のプラントと上海の銑鋼一貫製鉄所は、日本の資金援助によって建設されたであろうことは明白です。中国も韓国同様、日本の資金や技術援助で近代化を進めたいとの思惑もあって、1972年9月の日中国交回復が実現したものと思われます。

 しかしこの時発表された日中共同宣言には、中国は日本に対する戦後賠償請求を放棄すると明記されています。にもかかわらず日本政府は、明文化しないまま、裏援助を開始します。日本国の巨額の税金を投じて中国に経済支援するというのに、1972年の国交回復時の日中共同宣言にも、1978年に締結した日中平和条約にも、一文字たりともその旨の記載がありません。何を目的にした経済支援なのか、また支援額の総額はいくらなのか、全く不明のまま日本政府は中国に対して、延々と裏支援を続けてきたことになります。

 外交交渉としても下の下ではないかと思いますが、この時の大失政が、日本を窮地に陥れています。仮に明文化しても韓国同様、中国も無視する可能性はありますが、日本側としては不当な要求だとして突っぱねる根拠にはなりえます。しかし日本の歴代政権が、カネと技術支援で韓国、中国の歓心を得るという無能な外交を続けてきたことが、中韓の反日攻勢を生み出すおおもとになっていることを政治家はしかと認識すべきです。

 新日鉄は1969年にソ連から耐久性に富んだ高炉技術を購入して新高炉を建設したそうですが、他国の技術はカネを払って購入するものです。新日鉄がソ連から購入した高炉の新技術も、日本の税金を使って中韓に移転して差し上げたわけです。こうした無能外交の結果、中韓に対して、資金と技術は日本からタダで貢がせて当然だという意識を、日本の政治家が植え付けてしまいました。

 しかし日本は戦前にも、朝鮮半島北部には総合製鉄所を建設し、中国では満州に総合製鉄所である昭和製鋼所(鞍山製鉄所)を建設しています。

 満州の製鉄所は高炉9基を擁する大規模な製鉄所ですが、日本の敗戦後、ソ連がこの製鉄所の最新設備を解体して自国に持ち帰りました。この解体には同製鉄所に勤めていた日本の技術者が協力させられましたが、解体に関わる詳細なリストも含めて、当時の記録をひそかに持ち帰ったという。

この貴重な資料を分析した岡山大学の松本俊郎教授の論文「1940年代後半における昭和製鋼所の製鋼工場」(岡山大学経済学会雑誌30(1)、1989年)がWEBに公開されていましたので、それを参照して書いていますが、満州に残されたこの巨大な総合製鉄所は、ソ連のみならず、蒋介石の国民党、毛沢東の共産党三者の奪い合いになったという。(論文ではもっと穏やかな表現になっていますが)

 ソ連が奪い取った設備の残りを国民党軍が接収して稼働させ、鉄鋼製品を製造していたという。しかし22ヶ月後に共産党軍の攻勢を受け、国民党軍は製鉄所を放棄し、台湾に亡命。ついにこの製鉄所は中国共産党軍の手に落ちてしまいました。

 占領者は変われども、この間、日本人技術者が技術指導を続け、中国共産党も日本の技術者の指導を受けながら、鉄鋼製品の製造を開始したという。日本人技術者は貴重な人材ということで、心身両面において危害や圧迫を加えられることもなく、自由に技術指導を続けることができたという。さらに特筆すべきは、この製鉄所の創業以来の日本人技術者による詳細な操業記録が残されており、機器や操業の問題点を詳細に検討、検証をする際の貴重な資料になったという。

 三者三つ巴の奪い合いになったことからも分かるように、この製鉄所は非常に優れていたわけですが、共産党による新中国の経済建設に多大の貢献をしたことは言うまでもないでしょう。ソ連は第二製鋼所の先進設備を持ち出したそうですが、共産党は残った第一製鋼所を使って生産を始めたという。第2製鋼所も修理をして操業を開始し、満州時代とほぼ同水準の生産に達し、ついには満州時代を凌駕するほどの鉄鋼生産を実現したという。新生中国建設に燃える中国人技術者の努力の様子も論文には記されていましたが、日本が建設した製鉄所の設備そのものの優秀さ抜きには、増産は実現しなかったはずです。

 1972年に、中国が新規に製鉄所を建設するに際して、資金のみならず、技術も全面的に日本に依存してきたということは、中国では、ゼロからの製鉄所建設は不可能であったということです。製鉄所建設に際して、新日鉄からは技術者を派遣し、中国からは実習生を受け入れ、人材育成にも協力したという。

 戦後の共産党中国の経済建設に多大な貢献をした日本製鋼所は、日本の満州国建国抜きにはありえなかったわけですが、中国はこの歴然たる事実を無視、隠蔽しています。しかも日本が満州に残した遺産は昭和製鋼所だけではありません。さらに莫大です。日本の貢献を徹底的に隠蔽し、反日活動を世界で展開する韓国、中国を相手にするときは、貢ぐだけという最も安易で楽な朝貢外交は、日本を窮地に陥れる結果にしかならないことを、政治家はしかと認識すべきです。

 製鉄所建設を巡っても日本に全面依存してくるという点では瓜二つの韓国、中国ですが、建設時の対応では違いも見せています。韓国で最新鋭設備を備えた第3基工事建設に際して、浦項の朴社長は責任者の鈴木氏に、日本では考えられないような短い工期で建設してほしいといわれたという。鈴木氏はそんな無茶をすると、建設中に20~30人は犠牲者が出ますよと答えたところ、朴社長は、犠牲者が出てもかまわない。この工期厳守は朴大統領の厳命なので、絶対に守らなければならないとして、工期の延長は認めなかったという。結果、完工まで(1976年6月―1978年11月)の韓国人作業員の死者は、48人にも上ったという。

 国民の命は虫けら以下だという韓国支配層の冷酷な深層心理が露骨に表れています。現朴大統領が、4百数十人もの死者が出たセゥオル号事件発生時に7時間も姿をくらまし、意図的に救助を遅らせて、多数の死者を出しても平然としているのは、韓国支配層の伝統的な冷酷な深層心理によるもののようです。しかし韓国民は、朴大統領の行動に不審の目を向けた産経新聞の加藤前支局長を叩きはしても、この殺人鬼のような大統領の存続を許しています。我々日本人には理解不能。

 一方中国では、鈴木氏が一度視察に訪れた武漢市の建設現場では、足場は竹を組んだだけの原始的なものだったそうですが、工期が十分にとられていたので、建設時の死者は一人も出でなかったという。中国共産党も、人民の命よりも共産党の繁栄と存続を最優先していますが、その共産党といえども、何人死者が出てもいいから、工期を短縮しろとはいわなかったということです。

 ところで鈴木氏は民間人として今なお、韓国への技術移転に励んでおられます。鈴木氏は新日鉄を退職した後、関連会社の社長に就任され、大分の異業種交流活動を通じて、韓国の中小企業への技術移転を推進されています。精密機器や自動車工学から始まって食品加工まで多種多様な分野に渡っています。大分にはキャノンなどのIT企業も拠点を置いています。中小企業を介しても、日本の技術が韓国に移転されつつあるわけです。

 大分での韓国支援は、日本から購入せざるをえない部品を韓国内で作りたいという韓国側の要望を受けて、2000年から始まったそうです。日本の中小企業は親会社の指導を受けながら、自らも学び、工夫して日本の製造業を支えてきたわけですが、韓国では中小企業の育成まで日本に任せようというわけです。

日本政府は日本の国税を使って、自ら韓国の中小企業育成事業をも続けてきました。それが今も続いているのかどうかは不明ですが、大分では今現在も続いているわけです。地方からの技術移転に際しても、韓国側からは技術移転費用は一銭も払われてはおらず、全て日本の無償奉仕です。

韓国に派遣されて、韓国の中小企業に無償の技術支援をしていたという技術者の手記を読んだことがありますが、わざわざ日本から出かけて無償の技術支援をしても、韓国人はありがとうの一言もいわなかったという。

 日本人が余りにもお人好しすぎるとはいえ、韓国の大企業はなぜ自ら資金と人材を使って、中小企業の育成に努力しないのか。韓国政府もなぜ自国内で中小企業の能力向上の事業を行わず、何もかも日本に頼ろうとするのか。先進国を自認している国として、恥ずかしくないのですか。 

韓国は、完成した技術を日本からタダで移転してもらうという、もっとも楽でカネのかからない方法で先端技術を手に入れるということを繰り返してきた結果、いつまで経っても韓国は、学術的にはもとより、生産現場でも基礎的な力が身につかない。そもそも 自国の技術をタダで他国に移転し続けている国は、世界広しといえども、日本以外にはありえません。

 韓国の真の自立を願うのであれば、今後日本は、いかなる分野の技術であれ、韓国にはタダで技術は移転しない、教えないと決意すべきです。そのためには、韓国並びに中国からの従軍慰安婦や歴史認識問題攻撃に対しては、カネや技術を貢いでナダメルという従来の安易な方法から脱却し、世界に向かって日本の無尽蔵に近い貢献も含めて真実を伝えるという、困難を伴う正攻法で対処する覚悟が必要になることはいうまでもありません。

 ところで日産はなぜ日本のメーカーからLG電子に変えたのか。LGが日本のメーカーの3分の1のコストで部品を生産してくれるからだという。日本の部品メーカーの技術がLGに移転されたわけです。技術が同等ぐらいになれば、コストが勝負を決します。日本で製造コストを3分の1にすれば、人口増どころか、労働者の大半は餓死せざるをえなくなるでしょう。

同様の事例が今後も出てくることは避けがたい。先進国が後発国に追い上げられるのは宿命ですが、日本政府が自ら後進国、特に韓国、中国の追い上げに手を貸し、その追い上げ速度を加速させることは、売国行為以外の何物でもありません。韓国、中国は他者から受けた恩に感謝することを知らないだけではなく、その恩を徹底的に隠蔽し、日本を非難しつづけます。中韓二国は人品卑しく、タチが悪すぎます。

 ちなみに鈴木氏は、最新鋭の浦項製鉄所第3基工事を支援した際、工事終了後、日本の企業グループJGのメンバーの技術者20人に、各部門の評価や問題点をレポートにまとめてもらい、それらを基にB4用紙58枚の提言書としてまとめて浦項製鉄所に提出したという。至れり尽くせりの徹底したご奉仕ぶりです。

なぜ日本人はこれほどお人好しなのでしょう。あらためて言うまでもありませんが、この事業は日本の税金を投じてなされた支援事業です。ところで、鈴木氏のこの聞き書きシリーズは、通常は50回つづくところを39回で最終回となっています。

 しかし韓国への技術移転は工業分野だけではありません。米、果物、お茶などの農業分野の生産技術も日本から韓国へ着々と移転されています。農業分野の特性から、日本各地の地方から韓国に移転されています。高級果物は、韓国産のものは未だ日本産には及びませんが、韓国に移転されている農産物生産技術は、やがてくるであろうといわれている東南海地震予定地域が全てカバーされています。もしもこの超巨大な地震が発生したならば、工業製品のみならず、農業製品も韓国から輸入されることになりそうですし、日本に代わって海外に輸出する可能性すらゼロではありません。

 ドイツのVWの不正問題が発覚して間もなくの頃、韓国紙はVW不正問題による「反射益」を計算した記事や、客層の違いから韓国車にはほとんど反射益は見込めないという記事が堂々と掲載されていました。検索中にたまたま目にして、余りにもあからさまな記事にびっくりしてしまいました。

「反射益」とは、不正発覚によるVWの売上減が韓国車の利益になることを意味していますが、反射益とは初めて目にする言葉ですし、そもそもこの言葉そのものが日本語にはありません。

 ネットで検索すると法律用語としての「反射的利益」のみ一例ありましたが、反射的利益とは、法律によってなされる公益保護によって、間接的に個人もその利益の恩恵を受けることはできるが、直接的な権利ではなく、仮にその恩恵を受けることができなくても個人は公を訴えることはできないという意味のようです。字面は似ていましたが、韓国人が使う反射益とは似ても似つかぬ意味でした。

 反射益はおそらく韓国固有の言葉、造語なのでしょう。言葉はその国の思考、思想を表徴するものです。つまり韓国は、他人の不幸を積極的に自分の幸福実現の手段にすることが、全く後ろめたさや罪悪感なしに堂々と実行できる社会であるということです。我々は、韓国人のこの民族魂を片時も忘れるべきはありません。

 日本車が生産不能に陥った3.11では、韓国車は多大な反射益を得ましたが、日本車の生産力が回復すると、韓国車の反射益はほとんど消滅しています。反射益頼みで利益を追及するならば、絶えず反射益を生み出すための環境づくりに精魂を傾けざるをえなくなります。それは他者を不幸に陥れる環境を生み出し続けることを意味する、地獄の思想です。

当然のことながら、この手法では一時的に利益は出ても、技術力の向上には全く役立ちません。むしろ基礎からこつこつと学ぼうという機運の到来を阻害しつづけるだけでしょう。反射益を追求するような卑しい精神では、真の自立は達成できないということです。

 しかし韓国政府は、自前で生産できないにもかかわらず、日本と同等の技術を手にしようと、日本政府を恫喝し続けます。韓国政府が、日本政府恫喝の唯一の手段である従軍慰安婦問題を絶対に手放さないのもそのためです。

日韓請求権協定全文

 ここでもう一度、葦の葉通信8号に掲載した「日韓請求権並びに経済協力協定」を掲載します。(転載では、条文全文記載。)

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データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)

日本政治・国際関係データベース

政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日韓請求権並びに経済協力協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)

[場所] 東京

[年月日] 1965年6月22日

[出典] 日本外交主要文書・年表(2),584‐586頁.外務省条約局「条約集・昭和40年(二国間条約)」.

[全文]

 日本国及び大韓民国は、

 両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、

 両国間の経済協力を増進することを希望して、

 次のとおり協定した。

第一条

 日本国は、大韓民国に対し、

(a)現在において千八十億円(一◯八、◯◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に換算される三億合衆国ドル(三◯◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする。各年における生産物及び役務の供与は、現在において百八億円(一◯、八◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に換算される三千万合衆国ドル(三◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の額を限度とし、各年における供与がこの額に達しなかつたときは、その残額は、次年以降の供与額に加算されるものとする。ただし、各年の供与の限度額は、両締約国政府の合意により増額されることができる。

(b)現在において七百二十億円(七二、◯◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に換算される二億合衆国ドル(二◯◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の額に達するまでの長期低利の貸付けで、大韓民国政府が要請し、かつ、3の規定に基づいて締結される取極に従つて決定される事業の実施に必要な日本国の生産物及び日本人の役務の大韓民国による調達に充てられるものをこの協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて行なうものとする。この貸付けは、日本国の海外経済協力基金により行なわれるものとし、日本国政府は、同基金がこの貸付けを各年において均等に行ないうるために必要とする資金を確保することができるように、必要な措置を執るものとする。

 前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。

2(略)

第二条

1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

2 この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。

(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益

(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの

3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする

第三条

1 この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。

2 1の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から三十日の期間内に各締約国政府が任命する各一人の仲裁委員と、こうして選定された二人の仲裁委員が当該期間の後の三十日の期間内に合意する第三の仲裁委員又は当該期間内にその二人の仲裁委員が合意する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとする。ただし、第三の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であつてはならない。

3 いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を任命しなかつたとき、又は第三の仲裁委員若しくは第三国について当該期間内に合意されなかつたときは、仲裁委員会は、両締約国政府のそれぞれが三十日の期間内に選定する国の政府が指名する各一人の仲裁委員とそれらの政府が協議により決定する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員をもつて構成されるものとする。

4 両締約国政府は、この条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服するものとする。

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従軍慰安婦や徴用工は韓国国民です。韓国の最高裁判所はこの条約を無視した判決を次々と出しつづけていますが、韓国の最高裁判所と韓国政府並びに韓国国民は「その国民(法人を含む。)の財産、権利及びその国民の間の請求権に関する問題が、(中略)完全かつ最終的に解決されたこと及び、「(日本統治時代))に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする」ことがこの条約に明記されていることを直視すべきです。

そして、本協定をめぐって紛争が発生した際は第三国の仲裁委員を立てて、第三者による協議による仲裁に委ねることも明記されています。韓国内の裁判所の決定でこの協定の内容が一方的に改変されることはこの取り決めに根本的に反することも、韓国の裁判所や韓国政府、韓国民はしかと認識すべきです。

気象改変装置

 ところで最後に、以前読んだ人工気象装置の歴史を辿った本の紹介をします。図書館の棚でたまたま見つけて読んだ本ですが、それによると、アメリカでは1800年代にすでに、気象を人工的に操作する技術が民間でも積極的に開発され、農産物育成のための気象環境の人工的な改変に実地に使われたという。日本では神仏に祈って雨ごいをしていた頃から、アメリカでは人工的に気象を改変しようとした人々がいたということは驚きですが、当然のことながら現在もいるということです。

 アメリカでは軍が気象兵器の研究開発を行っていると聞いても誰も驚かないだろうと思いますが、民間でさえ、気象改変装置を開発してきた長い歴史があると聞けば、やはり驚かざるをえないだろうと思います。この無法的な自由さ、無法的な大胆さがアメリカの活力源の一つかとも思われますが、時と場合によっては、危険きわまりない事態をも招きかねません。我々はこのことも片時も忘れるべきではないと思います。