「葦の葉ブログ2nd」より転載
前号の品田東大教授への疑問も含めて、わたしはこれまで、漢字伝来までは日本には文字はなかったと書いてきましたが、実は漢字導入前は、日本では日本固有の文字が使われていたらしい。先日、弊社刊の藤井綏子著『九州ノート』(在庫切れ)というかなり古い本を何気なく開いたところ、「豊国文字(とよくにもじ)」という文字で書かれた古文書が現存することを知り、びっくりしています。
藤井氏は在野の古代史研究家ですが、漢籍にも精通されており、素人離れした博識には驚かされていますが、ネットで調べてみると、豊国文字は知る人ぞ知るという古代史愛好家の中では結構知られていることも、初めて知ったばかり。わたしもかつて日本には、神代文字と呼ばれる日本固有の文字があったとの話のあることは知っていましたが、現実的なものだとは思えませんでした。しかし神代文字の一種と思われる豊国文字を使って編まれた史書が存在するとなれば、いやでも関心を抱かざるをえません。
豊国文字は、「上記(ウエツフミ)」という史書に使われている文字として知られているそうですが、形仮名(片仮名ではない)や「真名字」(万葉仮名を意味する真名仮名ではない)とも呼ばれるという。なぜ漢字や仮名を使わずに、特殊な豊国文字を使って史書が編まれたのか。その事情については、藤井氏の著書から引用しつつ、以下、説明いたします。
源頼朝から九州守護職に任ぜられた初代大友氏の能直(よしなお)が自ら編纂の指揮を執り、嫡子親秀(ちかひで)ほか家臣7名に命じて編纂されたもので、貞応2年(1223年)に成立。しかも、「『新はりの記』という常陸国新治郡(ひたちのくににいばりぐん)の古書を、高千穂大宮司家伝之文、日向国主家伝書と照合した上で、底本とし、その上、」以下の古書を参考にして、「底本どおりの形仮名、つまり真名字を以て写させた」という。
参考文献は数が非常に多いので、ウエツフミには由緒正しい『底本』が存在した!から引用させていただきます。このブログは、「ウエツフミとウガヤフキアエズ王朝の研究ー大分に存在した古代国家」という統一テーマでブログ発信されている、藤島寛高氏の古代史関連ブログです。
◆高千穂ノ大宮司ノ伝書 ◆同国主元雄力伝書 ◆常陸国新治郡富田某カ家記 (以上三部を原本と云う)
◆出雲国造上世記 ◆常陸国鹿島国造文 ◆伊豆加茂三島ノ伝書 ◆尾張中島逆手記 ◆伊勢度会文 ◆摂津住吉大坐生記 ◆肥後八代県文 ◆阿波田村記 ◆筑前後老家文 ◆豊前後老家文 ◆薩摩霧島記 ◆越白山舟人文 (以上十二部総計十五部也)
上記15点もの参考文献は、藤井氏の著書にも記されています。ではなぜ、豊国文字によって書かれたのかといえば、藤井氏は、編纂意図を記した能直の「はしがき」を基に以下のように紹介しています。
時につれて漢風ばかりが流行し、「上(かみ)つ御代(みよ)の文字もいつしかに消失せて、皇御国(すめらみくに)の古事(ふるごと)もそれに流れて隠れにき。今は漢(から)文字にてふることのはしくれ残るばかりになること、それさえ違(たが)えること多くあるに、さてもあじきなの世と心むすぼれ涙に袖も朽ち果てるて」るようだったからである。だから今、この書を「神の御代の真仮名」で書き写させたのは、「上々なき御宝なれば家の子らに伝えて、清き雲の上は今は濁りに濁り多う黒雲の覆い重なれども、やつ(やつがれ―自分)はこれ、神代の古事を学びて、天つ日つぎを斎(いつ)きまつるべくも思おひはんべれば、やつがやからの人どもこの文を読みてよと、書き残し頼みおも」ったからなのだった。 そのはしがきは、ふつうの平仮名に漢字まじりで書いてあり、アイウエオに始まる「真仮名」の読み方を示した上で、末尾には能直公と嗣子親秀の名があり、「貞応二年三月」の日付けがある。その後に編集にたずさわった七名の家臣の名が連ねてある。主な執筆者、つまり所謂真仮名(*久本注・「真名字」ではなく「真仮名」としたのは、能直の「はしがき」の表記に合わせたものと思われます。)で長い本文を書いたのは、その七名中の一人、朝倉入道信舜という人であるらいい。(『九州ノート』より)
つまり「ウエツフミ」編纂は、漢字の隆盛、漢風の浸透により、神の御代の真仮名が喪失したばかりか、古い御代の事象も片々しか書き残されなくなってしまった時代の風潮を嘆いた大友能直によって、真仮名を使って、真仮名が使われていた御代の様々な出来事を詳細に書き残すことを目的に編纂がなされた、いわば鎌倉時代の隠れた王政復古事業であったということです。ただ、記紀が天皇の命によってなされた国家的事業であったのに対し、「ウエツフミ」は大友氏の私的史書編纂事業であったという違いがありました。
しかし私家版とはいえ、15点もの古書を参照し、底本確定に際しても3書を基にしていますので、質量ともに、記紀にも比肩しうる内容になっていたのではないかと推測されます。「九州ノート」はA5版の444ページという非常に大部な本で、わたしはそのごく一部しか読んでいませんが、偽書だとされてきた「ウエツフミ」とはいえ、記紀の不足を補うものだと藤井氏は評しておられます。
また藤島氏の「フキアエズ王朝」ブログの、ウエツフミとは?や大伴氏の繁栄とウガヤフキアエズ王朝との密接な関係などには、「ウエツフミ」の詳細な内容の一部が紹介されています。へえ!と驚くとともに、なるほどと合点のゆく「ウエツフミ」を介した歴史の裏面が紹介されています。藤島氏のブログに全て賛同しているわけではありませんが、「ウエツフミ」に関しては参照ブログとしてご紹介できると思います。藤島氏によると、「ウエツフミ」の編纂は、大友氏の来歴を子孫に残すためでもあったとのこと。
ところで、豊国文字には新旧2種類あるとのことで、「ウエツフミ」に使われて豊国文字は片仮名に近い新文字であり、昭和31年に、高千穂町の天岩戸神社から発見された、天岩戸の蓋石に刻まれていた絵文字のような豊国文字は旧字だとのこと。これも藤島氏のブログ、蓋石に書かれた豊国文字とウエツフミの記述が完全に一致で解説されています。まるでエジプトの古代文字ヒエログリフのような絵文字の豊国文字は、当然のことながら「ウエツフミ」よりは古いわけですが、藤島氏によると、この蓋石の絵文字と「ウエツフミ」の記述とは一致するらしい。
岩や石に彫られた文字や絵は、ペトログリフとかペトログラフとかと呼ばれており、世界各地の古代遺跡から多数発見されていますが、日本でも多数発見されているという。しかしわたしは今回初めて、漢字以前の古代文字を目にしてその存在を知ったばかりで、驚愕しています。日本のペテログリには、多数の古代文字が並んでいますが、北海道でも発見されているというペトログリフはここには含まれていないようですので、この全てが日本のペトログラフなのかどうかは不明。その全容は不明ながら、日本にも漢字以前の古代文字が存在したことは紛れもない事実のようです。
しかもこの事実は、次のYouTube古代日本とシュメールによれば世界的に知られているという。知らないのは日本人だけだということなので、わたしだけが知らなかったのではなく、日本では一種のタブーになっているらしい。なぜか。表向きには、日本の天皇が万世一系の皇統によってつづいてきたという、日本の歴史の根本的基盤を崩すことになるからだという理由があるからもかもしれません。
しかし有史以前の日本列島の住人たちも元を辿れば、アフリカからの渡来人の末裔であるわけですから、日本の歴史の始まりそのものが世界大規模の動きに端を発していますので、日本の古代歴史が非東洋的な歴史に接続することになったとしても、全く問題にはならないはずです。
おそらく日本でこの種の話題がほとんど隠蔽に近い扱いを受けているのは、別の理由によるものだと思われます。すなわち韓流史観の邪魔になるものは隠蔽するという動きの一貫だと思われます。韓国にはペトログリフはほとんど存在していないのではないか。もし韓国にあれば、あそこのペトログリフもここのペトログリフも、韓国伝来だあ、とじゃんじゃん大報道されているはずです。報道されないのは韓国にはないがゆえに、韓流史観が披露できないどころか、日本の文字や文化が韓国以外から伝わったことになるからです。
九州の装飾古墳
ここであらためてご紹介したいのが、九州各地にある多数の装飾古墳です。九州には、非常に美しいカラフルな装飾古墳が145基あります。これは弊社刊の『装飾古墳のふしぎ』に掲載されている、昭和59年(2009年)刊行当時の数です。古墳の一部をご紹介します。
検索していると、九州国立博物館の装飾古墳データベースが公開されているのが分かり、途中からこのデータベースにリンクを貼っておりますが、途中からデータなし表示が続出し、リンクを貼るのを止めました。
福岡県(66基)・・・王塚古墳 仙道古墳 弘化谷古墳 珍塚古墳(船と水先案内人) 日岡古墳 穴ケ葉山古墳群(鳥や亀を線刻) 五郎山古墳
佐賀県(22基)・・・田代太田古墳
長崎県(8基)・・・大米古墳(船の線刻。他にも6基に船の線刻)
大分県(18基)・・・法音寺山古墳
宮崎県(22基)
熊本県(88基)
どんな古墳があるかは、九国博のデータベース以外を探した方がいいかもしれません。データがあるからリストに挙げているはずでしょうに、途中からデータなしの続出。宮崎県はほぼゼロ。ありえない事態です。九国博は信用できませんね。
九州各地にある装飾古墳の特徴については、福岡県の筑豊地区にある桂川町の王塚古墳を例にして素人解説をします。幸い、昨年の秋に、年2回、一般公開される王塚古墳見学会に参加した時に写した写真がありますので、写りが悪いですが、写真をご覧ください。
) 何が映っているかが分かりそうな写真だけを掲載しております1と2はキャプションどおりでいいかと思いますが、壁画には2の具象図以外にも、彩色された○や△などの抽象的な文様も多数描かれています。九州にある装飾古墳の最大の特徴は、こうした抽象的な彩色文様がほぼ例外なく描かれていることです。ただ中には、石に線刻したものもあります。線刻図、彩色図の中には船を描いたものもかなりありますが、これらの図像のなかには、エジプトの古代壁画にそっくりなものも含まれています。
五郎山古墳の壁画がエジプトの古代遺跡の壁画と似ているとのブログ、デンデラ・ハトホル神殿と五郎山古墳の船を発見しました。しかし珍塚古墳には、このハトホル神殿の船ともっとそっくりな船が描かれています。さらに進んだ解説をみつけました。
福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件 タイトルを見ると、ありえない妄想だと思ってしまいそうですが、ペトログリフやヒエログリフの存在を知った今は、十分にありうる話だ思いますし、エジプト考古学の吉村作治氏も、そっくりな絵がエジプトにもあると指摘されているという。九州や東北地方の装飾古墳に描かれている絵や文様も、ペトログリフやヒエログリフの一種と見ることもできるのではないか。
九国博の装飾古墳データベースの海外編を見ると、展示されている海外古墳群の中では、九州の装飾古墳とインドネシアの装飾古墳には、非常に似た文様が多い。このデータベースに公開されている韓国の古墳は、実物の古墳そのものが完全に新しく作り変えられています。韓国はあらゆる点で信用できない国であることを、あらためて思い知らされています。韓国には、九州の装飾古墳のような抽象的な文様は皆無です。そもそも韓国、朝鮮半島には装飾古墳はほとんどないばかりか、古墳そのものも、20基ぐらいしかないはず。日本の古墳は約20万基。日本の古墳の数からすると、朝鮮半島の古墳はなきに等しい。規模も小さな円墳ばかり。
その一方、中国の古墳の展示が少ないように思われますが、YouTubeで公開されているこのデータベースは、九国博の名前を使ってはいるものの、学術的な信頼性には乏しいように思いますね。
豊国文字(神代文字)=ペトログリフから始まって、古墳の装飾壁画にまで話が広がりましたが、奈良に都を開いた大和朝廷成立以前の日本の来歴は、すなわち日本そのものの来歴となるものです。その来歴は漢字伝来以前の神代文字(ペトログリフ)やヤマト系以前の装飾古墳にその痕跡が刻印されているのは間違いありません。つまりは、日本人の来歴はYouTube古代日本とシュメールで指摘されているように、環太平洋的な動きの中にこそあるということだと思われます。
このYouTubeによると、古代文字を介してなされる古代日本とシュメールとの関係は、CIAやユダヤの強い関心下にあるのかもしれませんが、彼らは、学問的な真理として両者の関係を明らかにしたいと臨んでいるはずです。むしろ非常に危険であるのは、韓流史観を押し通すためには手段を選ばず、時には、韓流の邪魔になるような才能の抹殺も辞さぬという韓国人勢力です。
韓国では、最近になって卑弥呼が朝貢した中国の魏は、韓国が作ったとの珍説が捏造されていますが、何と、この捏造珍説を日本の権威ある学者が日本で鼓吹しています。犬飼隆(イヌガイタカシ)氏という、音だけ聞くと、あの有名な万葉学者の故犬養孝氏と全く同じお名前の、木簡研究で有名な学者だという方が、NHKラジオ第2で話しておられました。日本の学者が韓国人学者の珍説を全く疑うことなく広報していることには心底驚きましたが、中国の専門家はこの珍説を批判してないのでしょうか。
今の日本では、どれほど異様な珍説でも韓国人をまともに批判する人はいないはず。うかつに韓国人を批判すれば、どんな目に遭わされるかもしれないからです。あるいは今の日本には、韓国人学者には、ハハーアと拝跪する学者ばかりになっているのかもしれません。
中国の専門家は、余りにばかばかしい珍説ゆえ、まともに取りあわず無視しているのかもしれませんが、中国の専門家が批判しないかぎり、韓国の珍説はやがて世界の正論になりかねません。あるいは中国でも、予算削減のあおりを受けて、古典研究や古代研究は冷遇されているのでしょうか。
最近、中国の魏の時代の陶器類だったかが、競売にかけられたというニュースをネットで見ましたが、中国では、魏の時代の古墳や遺跡が次々盗掘に遭ってるとのこと。競売にかけられたのはその盗掘品の一つだったらしい。魏は韓国人が造ったとの珍説は、それらしき証拠品となるようなものは、捏造品とはいえいくつか揃えていたはずです。おそらく、韓国にも、魏の盗掘品が持ち込まれたのではないか。競売にかけられたのは、韓国にあったものだとの捏造も難しそうな情報が記されていたので手放したのではないか。韓国人は学術分野でも手段を選ばず捏造します。
木簡まで捏造する韓流史家
木簡といえば、昨年、大野城市の歴史館で開かれていた木簡展には、新羅人が書いたという木簡も展示されていたのですが、たった今、新しく木から薄く剥ぎだしたばかりと思われるなまっさらな薄い板に、墨痕鮮明に文字が書かれており、最後に「新羅人」某と書かれていました。新羅人だけでは怪しまれることを警戒したのか、まったくそっくりなまっさらな薄板に、日本人らしき人が書いた木簡も一緒に並べられていました。
他の木簡は黒く汚れた木簡ばかり。余りにも不自然ですが、大野城近辺にも新羅人がいたとの証拠品として展示されていたのでしょう。しかし韓国関連の木簡は全て、炭素測定をした上で、その真贋を見極めていただきたい。検査する人々もお仲間だとしたら、検査自体無意味になってしまいますが、今の日本は、韓流汚染に見舞われ、ここまで考えざるをえない異常な状況に置かれています。
韓国人など相手にせずに、日本国内にも目を向けるべきです。九州の装飾古墳に似た古墳が東北にもあるそうです。王塚古墳の下の写真は、確か福島だったか、東北地方の装飾古墳の模型です。他にもいくつかあったのですが、メモを取り忘れて覚えていません。
福岡では有名な考古学者や歴史学者は皆、九州の装飾古墳はほぼ完全に無視しています。そして九州の古代文化は朝鮮半島から渡来したと吹聴し回っています。学者も都合の悪いものは完全に無視することを、つくづくと思い知らされています。こういうエセ学者連を批判する権威は今やどこにも存在していません。少なくとも福岡を見る限り、絶望的になりますね
ところで、中国でも漢字以前の絵文字らしきものが発見されたとのニュースをネットで見たのですが、これは事実なのかどうか。気になるところです。
絣ラボを更新しました。
インカショニバレCBE展では、会期を一月勘違いしていました。5月26日までとのこと。
1 「炭鉱をフィーチャーするパーティー」GTTON NIGHT!!!! 出演:民謡クルセイダーズ 5月18日 16時30分オープン 19時開始 於:青山・月見ル君想フ 2の映画の前夜祭として開催されるパーティーだとのこと。
2 映画「作兵衛さんと日本を掘る」 5月25日(土) 於:東中野ポレポレ 7月には福岡市でも上映されるそうです。 弊社刊の『写真万葉録・筑豊』の写真も映画で利用されているとのことです。『写真万葉録・筑豊』は欠巻もありますが、1,2,4,5,8巻は在庫あります。