2018-「葦の葉ブログ2nd」より転載
韓国の最高裁が新日鉄住金と三菱重工に対して、徴用工に対する損害賠償を求める判決を相次いで出しましたが、これらの判決の後、韓国の検察は、徴用工裁判の進行を遅らせたとして、朴政権時代の前最高裁判事の逮捕状をソウル地裁に請求するという事態にまで至っています。もうこの国には法も何もないとの思いが一層強くなってくるばかりですが、この韓国の無法な言いがかりに理解を示す日本人が、今なお少なからず存在することにはさらに驚かされrます。立憲民主党や共産党などの政治家は、日本よりも韓国が大事だという信条の持ち主なので彼らの言動には今さら驚きませんが、橋下徹氏が「PRESIDENT Online」に掲載しているメルマガで、今もなお韓国最高裁の判決にも理があると、次 橋下徹"韓国だけ非難するのはアンフェア" のように主張しているのには驚きました。
橋下氏は、日韓請求権協定が最焦点になっている今回の判決の可否を論評するに当たって、当の日韓請求権協定(正式名:日韓請求権並びに経済協力協定)そのものの条文を検証せずに、何と、2007年に中国の徴用工が損害賠償を求めた裁判で示した、日本の最高裁判決を持ち出して韓国擁護の根拠としているのです。日韓請求権協定の条文は、韓国人へ。事実を見よ! に、日韓双方が合意した、請求権に関する第二条全文を転載しておりますが、その核心部分を以下に再度引用します。
第二条
1 両締約国(注・日本と韓国)及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国(注・日本と韓国)及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日(注・1951年9月8日)にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約(注・サンフランシスコ平和条約)第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
2 この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。
(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日(注・1947年8月15日)からこの協定の署名の日(注・1965年6月22日)までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日(注・1945年8月15日)以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの
3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日(注・上記(a)と(b)に示された日付)以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。
この請求権協定の条文を読めば、どれほど曲解しても、いかなる理由であれ、日韓双方は、国も国民(個人のみならず法人も)も互いに相手に対して一切の請求ができないことは明らかです。橋下氏もこの条文そのものを相手にしたのでは、いかなる詭弁を弄しても韓国擁護は不可能と判断したのでしょう。そこで、特大ジャンプ手法を使って、一見類似はするものの、全く条件の異なる中国人徴用工裁判の最高裁判決を持ちだしたものと思われます。
韓国人も中国人もその多くは働き場所を求めて日本に出稼ぎにやってきたのですが、ここでは韓国最高裁判決の可否について焦点を当てますので、強制か否かについては論じません。では韓国人徴用工問題と中国人徴用工問題との条件の違いはどこにあるのでしょうか。
日韓国交回復に際して取り交わした日韓基本条約付帯の日韓請求権協定には、上記引用しましたように、サンフランシスコ平和条約も含めて、日韓双方の請求権放棄を新たに定めたものであることは一読明瞭です。
一方、田中角栄元総理が尽力して実現した、日中国交回復に際して日中双方が署名した1972年の 日中共同声明(外務省)には、9つの確認合意事項が列記されていますが、請求権に関する事項は5つ目の「五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」のみです。その後1978年に締結された 日中平和条約(外務省)は「日中共同声明」よりは条文らしい体裁は整えられていますが、内容的には平和条約に徹したもので、「日中共同声明」よりもさらに抽象的で、請求権などに関する条文や文言は皆無です。
日韓基本条約(日中平和条約に相当する)とそれに付帯する日韓請求権協定という前例がありながら、田中角栄総理は日中国交回復を急ぎすぎたのか、およそ条文らしからぬ、仮の覚え書きのような「日中共同声明」だけで国交回復しただけではなく、一切の取り決めなしで総額も示さぬまま、無償、有償の莫大な中国支援を確約し、実施に移しました。田名角栄総理は、恩には恩をもって報いるという日本的な不文律は、対外的には全く通用しないということを考えもしなかったのでしょうか。
国交回復を機に中国支援を開始するに当たって、「中国及びその国民(法人を含む)は、1945年8月15日以前に発生したいかなる事由に基づく、いかなる請求もいかなる主張もすることはできない」という文言を記した正式の文書を交わしていたならば、中国徴用工問題も発生しなかったはずです。
中国に対して、全く取り決めなしに莫大な支援を開始し、延々と続けてきた田中元総理並びに歴代政権の甘さには驚愕を超えて怒りすら覚えますが、我々日本国民は日中国交回復が、莫大な支援と引き替えになされたことは知らされていませんでした。
小泉元総理の時代に、中国への無償援助打ち切りが決定し、この時初めて、中国支援の一端が公の場でひっそりとした形で話題になりましたが、1972年から30年余り、日本は中国に対して無償援助を続けてきたということです。さらには最近、安倍政権下で、超低利で資金を提供する中国への有償支援の廃止が決まりましたので、有償支援はさらに40年以上も続いてきたということになります。
つまり、日中間の戦後処理に関する条約やそれに類するものは、日韓間で交わしたものとは全く異なっていたということです。サンフラン平和条約には、後に共産党によって中国大陸から追放されることになる国民党の蒋介石が署名しているからか、「日中共同宣言」にも「日中平和条約」にも、サンフランシスコ平和条約については一言たりとも言及されていません。
この点でも日韓請求権協定とは異なっていますが、日韓請求権協定には第一条に日本が韓国に提供する支援金額を明記するとともに、第二条では、この条約締結により、日韓双方における請求権問題は最終的かつ完全に解決したことも、厳密に明記されています。
しかし日中共同宣言には、同趣旨の取り決めは、いずれもどこにも書かれていません。唯一存在する文言は、先に引用した日中共同宣言の第5項「五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」のみです。この文言は、おそらく日本側が中国政府に妥協した結果だと思われますが、中国国民個人の請求権の放棄は意図的に排除された内容であることは明らかです。日中間の戦後処理は、この日中共同宣言しかないという現実の前では、中国に対しては個人請求権は消滅していないという最高裁判決が出るのは、法的には必然の結果だといわざるをえません。
橋下氏が上記メルマガで要約引用している、中国人徴用工に対する最高裁判決の内容が、判決文の内容を歪曲せずに要約したものなのかどうかまでは確認していませんが、たとえ強力な判例となりうる最高裁の判決といえども、提起された個々の裁判に対してなされたものであることはいうまでもないはずです。
日韓とは全く異なる条件下でなされた戦後処理を巡る中国人徴用工裁判の日本の最高裁判決を、そのまま韓国の最高裁判決の評価に援用するということが、法的に通用するものなのなのか、根本的な疑問を感じます。こんな杜撰な論法がまかり通ならば、国家間の条約など全く無意味だということになるではありませんか。
基になる最高裁判決は読んでいませんが、(1)から(5)に分けて箇条書きにして要約された橋下氏の紹介する最高裁判決そのものも、もしもこの要約通りであるならば、支離滅裂ですね。この要約通りであるとの前提で、この最高裁の判決を問題にするのであれば、なぜこのような支離滅裂な判決を出したのかを、日本国民として改めて最高裁に問うべきではないかと思います。
橋下氏のさらに驚くべき論法は、この韓国擁護の根底に「フェア(公平)」という概念を導入して、もっともらしさを演出しているところにあります。橋下氏は、価値観は文化や歴史にによってそれぞれ異なっているのだから、価値観の違いについてはどちらが正しいかを論じても無意味だとして、「フェア」概念を導入しているのですが、彼のいう「フェア」とはいかなるものであるのか。彼のメルマガから以下に引用します。
この「フェア」という概念・物差しは、それほど難しいものではない。「普段自分たちが主張している理屈は、相手にもしっかりと適用してあげましょうね」「普段自分たちがやっている態度振る舞いを、相手がやったからといって非難するのはやめましょうね」「自分たちでもできないことを相手に求めるのはやめましょうね」という、その程度のことだ。
で、橋下氏は何が言いたいのか。その余りの非論理的な論法ゆえに、実はよくは分からないというのが正直な感想。唯一伝わってくるのは、中国人徴用工判決を出した日本の最高裁判決を、韓国最高裁の出した徴用工判決評価に援用せよという、超法規的かつ非論理的なジャンプ論法による韓国最高裁判決擁護の熱意のみです。念のため付け加えると、伝わってくるのは、擁護を成功させうるに足るほどの内実は伴わない、空熱意のみです。
しかし橋下氏はさらに論点をすり替え、「争点は『強制か任意か』ではない。労働環境に違法性があったかかどう」だと開き直り論法まで繰り出し、現在の働きか方改革問題と同列に論じています。「強制か任意か」だけでは勝ち目はないと判断して、仮に任意であったとしても損害賠償は請求できるのだとの開き直り論法まで披露したものと思われます。しかもここでも、戦後処理条件の全く異なる中国人徴用工の事例を持ち出しています。韓国と中国とでは、国交回復に際しての戦後処理の条件設定が全く異なっています。
1968年の日韓国交回復に際しては、日韓請求権協定とセットになった日韓基本条約(平和条約)が正式の国際条約として締結されましたが、日中国交回復は、正式の国際条約締結には至らぬ日中共同声明という、信じられぬほど簡易な取り決めだけで実行に移されただけではなく、条件なしの、日本からのいわば貢ぎ物としての莫大な額の有償、無償の中国への援助が開始されました。日韓国交回復は佐藤栄作総理、日中国交回復は田中角栄総理下でなされましたので、両総理の性格や政治信条などの違いによるものだと思われますが、両者には個人的な資質の違いだけでは納得できないほどの大きな違いがあります。橋下氏は、こうした歴史的経緯についてどう考えているのでしょうか。
ともあれ、今我々が問題にすべきは、韓国の最高裁が日韓請求権協定を完全に無視していることです。橋下氏は価値観の違いは問題にしても仕方がないと語っていますが、国際法にせよ国内用法にせよ、個々の価値観の違いを超えて紛争処理を行うための基準として存在するものではありませんか。その基準として国家間で締結した条約を、韓国側では完全に無視しているわけです。その韓国を非難することはアンファエだという橋下氏は、法律は何のためにあると考えているのでしょうか。橋下氏は弁護士でもあるとのことですが、これほど法律の条文を無視して弁護士が務まるとしたならば、非常に恐ろしいことではないかと思われます。昔は、いい加減な弁護士を指す三百代言という言葉が使われることもありましたが、橋下氏もその類いに入るのでしょうか。
非難轟々の中、橋下氏のような強力な助っ人は、韓国にとっては闇に差す光明のようなものかもしれませんが、日本国内にも少なからぬ影響を与える人物だと思われますので、今回は橋下徹氏への批判を書かせていただきました。
最後に、韓国側が最高裁判決の根拠としているらしい、日韓請求権協定の紛争処理に関わる第三条を以下に引用いたします。韓国側は、紛争処理の方法が規定されているということは、この条約で問題が最終決着したのではなく、問題が起こりうることが想定されていることを意味しているので、今回の韓国最高裁判決は、この条文に基づく判決であるという、異様な論法を展開しているらしい。
(日韓請求権協定)第三条
1 この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。
2 1の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から三十日の期間内に各締約国政府が任命する各一人の仲裁委員と、こうして選定された二人の仲裁委員が当該期間の後の三十日の期間内に合意する第三の仲裁委員又は当該期間内にその二人の仲裁委員が合意する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとする。ただし、第三の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であつてはならない。
3 いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を任命しなかつたとき、又は第三の仲裁委員若しくは第三国について当該期間内に合意されなかつたときは、仲裁委員会は、両締約国政府のそれぞれが三十日の期間内に選定する国の政府が指名する各一人の仲裁委員とそれらの政府が協議により決定する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員をもつて構成されるものとする。
4 両締約国政府は、この条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服するものとする。
外交ルートを通しても、韓国側の主張が日本側に受け入れられないとして紛争処理を求めるのであれば、自国の裁判所に提訴するのではなく、国際司法裁判所に訴えるべきであったのではないですか。国際司法裁判所への提訴であれば、この第三条にも準拠した行動であったわけですが、さすがの韓国の方々も、国際司法裁判所では認められない一方的な主張であることを内々では自覚していたのでしょう。その主張が、世界で通用する明白な証拠に基づくものであるのであれば、韓国の方々は世界中にアピールする格好の場ともなる国際司法裁判所に、自ら率先して提訴したはずですが、自国の裁判所に提訴したことは、自らその主張の客観性の欠如を示したものだといわざるをえません。ここまできたならば、日本政府としては、韓国が応じない可能性は非常に高いとは思われるものの、日本側から国際裁判所に提訴すべきだと思います。
朴政権下では、徴用工判決が先送りされただけで、日本企業に損害賠償を求める判決そのものに異議が示されたわけではないことも、検察の元判事逮捕請求事件で明らかになっていますので、こうした判決の基にある徹底した反日教育の環境が改善されないかぎり、どの政権になっても同じような判決が出されるのは火を見るよりも明らかです。
こうした異常な状況が続いてきた責任の一端は、韓国に対して真剣かつ厳しい抗議をしてこなかった、事なかれ主義路線を踏襲してきた日本の歴代政権にもあります。安倍政権には是非とも、この悪循環を断っていただきたい。河野大臣もこの問題では厳しい姿勢を見せていますが、その陰で、各分野や各地域に対しては韓国との交流を増進させよとの強いメッセージを発し、そのためのプログラムも外務省主導で多方面に渡って策定させています。この二重基準がいかに日本にとってはマイナスになっているかは、長くなりすぎますので機会をあらためますが、韓国の日本攻略は、各分野、各地域で着々と進んでいることを片時も忘れるべきではありません。