2018-10-06「葦の葉ブログ2nd」より転載
本庶佑京大特別教授が、今年のノーベル生理学・医学賞を受賞されました。おめでたくも喜ばしいニュースですが、本庶教授のノーベル賞受賞は、日本が抱える様々な課題、問題点をあぶり出す契機ともなっています。以下、それらの問題点を列記して解説することにいたします。
1 優れた研究成果は短期間では達成できない。 2 政治主導では優れた研究成果は生まれない。 3 日本の研究者は理論オタク? 4 日本企業は官に弱い。 5 日本の大手マスコミの反日性。 6 優れた研究成果は、自由で規制のない中から生まれる。 7 「少数派こそ成果生む」
1については、改めての説明は無用だと思います。
2は、1の絶対的真理を無視して、短期に成果を求めるだけではなく、研究予算の配分先まで決めめてしまうという、反科学的傾向まで強まっている安倍政権下の危うさを指摘したものです。政治主導が強まれば、政治家や官僚と密接な関係にある大学や研究機関が有利になりがちであることは、頻発する政官絡みの数々の事件が証明しています。
もはや忘れ去られてしまったようですが、昨年の12月に発覚したPEZY社への100億円もの不正融資事件。100億円がいかに巨額であるかは、日本最大規模の学生数73,226人という、日大に対する今年度の交付金95億2,092万7千円と比較すれば一目瞭然です。ヤクザまがいの独裁政治を敷いている田中理事長下の日大には、交付金はゼロにすべきだとは思いますが、今ここでは、日大については100億円の重さを量るハカリ代わりに紹介するにとどめます。
73万人余の学生の教育に投じられる金額を超える補助金が、民間のたった1社に投じられたという、超偏頗な予算配分は、日本の科学技術研究にとっては百害あって一利なし。PEZY社の省エネ技術がすでに世界トップレベルにあることは、ここ数年の「The Green 500」(スパコンの省エネ技術の世界ランキング)では上位3位を独占してきたことや、今年6月のGrren 500 2018でも、1~3位を独占していることからも明らかです。
優秀な技術をもつ企業に巨額投資をして、手っ取り早く目に見える成果を上げたいという、政権の思惑だけが目につく予算配分です。巨額の投資が一点集中して実施されたにもかかわらず、これが日本の未来を開く投資であるのかどうかについてまでは、十分に検討されたのかどうかは非常に疑問。
現在のスパコンの主流はコンピュータの心臓部であるCPUを大量につなぐという方式だそうですが、単純化すればCPUをたくさん繋げば繋ぐほど速度が上がるということらしい。大量のCPUを繋ぎ、作動させるには相当高度な技術が必要だとは思いますが、お金をかければかけるほど高速のスパコンが誕生するということになるわけです。当然その分、コンピュータから放出される熱も莫大な量になるはずですので、PEZY社のような冷却、省エネ技術は必須不可欠なものではないかと思われます。
スパコンの省エネ技術は、Grren 500 2018にあるように、5位のアメリカ、9位のスペイン以外は10位まで全て日本(10位以下は見ていません。)と、3位までを独占したPEZY社を含め日本勢の独壇場となっています。政府から巨額の補助を受けた企業と自力で開発した企業とが競争しているわけですが、健全な競争原理が働いている環境だとはいえません。
速さランキングTOP 500- 2018年 6月では、2位と4位の中国、5位の日本、6位のスイス以外は全てアメリカ(10位以下は見ていません。)ですが、これらの国々は日本の省エネ技術は導入しないのでしょうか。膨大な量の電気を消費するスパコンやコンピュータの省エネ化は、巨額の資金が必要な上に地震誘発の危険性まであるCCSよりもはるかにCO2削減に有効なはずですので、屋上屋を架すようなPEZY社への巨額融資をするのではなく、日本の省エネスパコン技術の拡販に税金を使う方がよほど国益にかなうのではないでしょうか。国連もCCS導入の旗振りをするのではなく、今や世界中を覆い尽くすに至っている、コンピュータの省エネ化を推進すべきではないでしょうか。
と、その一方で気になるのは、最近急速に脚光を浴び始めている量子コンピュータですが、量子コンピュータは、スパコンのような膨大な熱は発しないのではないか。量子コンピュータにもいくつかの種類があるそうですが、コレ1枚でわかる量子コンピュータによると、すでに商品化されているカナダのD-Waveの量子コンピュータ(東京工大の西村英念教授が1998年に提唱した原理に基づいて開発、2011年に商品化)は、スパコンを凌ぐ高速化のみならず低消費電力も実現しているという。
この量子コンピュータの省エネ性は、絶対零度という特殊な作動環境に由来するものなのかどうかは素人には分かりませんが、高速コンピュータは省エネのみならず、高速化も同時に実現しなければ、商品としての価値は保証されないということのよう。考えれば当然かもしれません。ということで、ここからは「3 日本の研究者は理論オタク?」へと続きます。
3 は日本の研究の一般的な特徴ですが、「定説を疑え」という基本姿勢で研究を進めてきた本庶教授は2002年、世紀の大発見をされ、免疫療法を可能とする道を切り開かれ、基礎研究から臨床までと、応用=薬として製品化の実現にまで力を注がれました。この点でも、日本では研究者としては希有な存在ではないのかと思います。しかし、免疫抑制分子「PD-1」の発見が実際の免疫療法として実用化されるまでには、長い道のりを要したという。なぜなら、本庶教授の「PD-1」発見によって免疫療法が可能になるとは、当時の学会的な常識ではありえぬこととされていたからです。
ノーベル賞受賞・本庶佑教授が語った オプジーボと従来の抗がん剤の「決定的違い」 「当時は免疫療法が効くなんて信じる人はほとんどいませんでした」(今回の受賞に際し、「文藝春秋」2016年5月号より抄録したもの。)
読売新聞の記事によれば、本庶教授は、免疫細胞の仕組みを応用した免疫療法を実用化したいと製薬会社にも働きかけたそうですが、当初はどこからも協力を得られなかったという。常識ではありえぬ療法だったからだとは思われますが、理由はそれだけではなさそうです。2006年には、アメリカではすでに臨床試験が始まり、効果が確認されていたという。そのアメリカでの臨床試験の結果が2012年6月に、200年の歴史を持つ世界的に著名なアメリカの医学雑誌に掲載されたという。
しかも専門誌だけではなく、免疫療法が非常に効果が高いということが臨床試験でも確認されたということで、「「ウォール・ストリート・ジャーナル」(2012年6月2日付)は一面で「人類とがんの長い戦いに終止符を打つ期待の最新研究が始まった」と報じました。ヨーロッパのマスコミも大騒ぎした。全然話題にしなかったのは、日本のマスコミだけでしたね。」(本庶教授談)
本庶教授が語るこの驚くべき事実から、日本のマスコミの理解不能な超偏向ぶりが改めて浮き彫りになってきます。その一方で、2014年1月に理研が発表した、ニセ物であることがすぐに判明することになる、「STAP細胞作成成功!」のニュースについては、全マスコミが異常な規模で報道しまくりました。本庶教授発見になる世界初の免疫療法については全く報道せずに、STAP細胞については大々的に報道する日本のマスコミ。マスコミのこの異常な偏向は、国立の理研という公的研究機関への盲従ぶりを示していますが、それだけではないはずです。
善意に解釈すると、マスコミはSTAPがニセ物であることがすぐに判明することになるとは想像もしていなかったと思いますが、欧米でその効果が実証された、世紀の大発見である本庶教授の免疫療法については完全に無視し、その実証が未だなされていないSTAPをにぎにぎしく、派手派手しく、大規模に報道しまくったのは、科学的判断以外の動機によるものであると思われます。それ以外にはこの超異常で、売国的、反日的な偏向の理由はありえません。非科学的、反科学的な売国的動機以外に、マスコミのこの異常な偏向の理由はあるでしょうか。ないと断言いたします。
この偏向報道が派手で大規模であっただけに、ニセ物であったという事実が判明したことによる衝撃も大きく、日本のバイオ研究、生命科学研究レベルのお粗末さが過剰に強調されて国内外に伝わる結果になりましたが、これこそが、異常な偏向報道の狙いであったはずです。2012年にiPS細胞で京大の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞され、同じ年に本庶教授の免疫療法が欧米で大評判になっていたわけですが、一時的にせよ、STAP細胞騒動は、日本の研究レベルのイメージダウンに貢献したはずです。
「3 日本の研究者は理論オタク?」について書くつもりでしたが、文章の流れから、「5日本の大手マスコミの反日性」が先になりました。ここで「3」に戻りますが、どちらも互いに根っこでは繋がっています。
日本の大学での研究が理論重視で応用にまで動かないのは、戦後の日本的価値観が強く影響していると思われます。わたしが学生の頃は、産学協同など唱えるのは反動の極地、学問を破壊する極悪人だと思われていました。当時はわたしもそうした思想に洗脳されていましたが、こうした異常な価値観は、戦前の軍国主義批判に起因しています。軍部に独裁的に支配されていた戦前への批判です。学問の独立と自由を守れというのが、当時の日本の全大学に共通した絶対的なスローガンでした。戦後73年経った今もなお、日本の大学にはこの価値観の残滓はかなり強く残っています。言うまでなく、憲法9条の狂信的な護憲思想に依拠した思想であり、価値観です。
しかし国の財政悪化を受けた大学をめぐる環境の変化もあり、産学協同を促す動きが拡がり、大学と企業の連携や、大学からの起業も飛躍的に進んでいます。50年ぐらい前からすると劇的な変化にも見えますが、日本には未だ産学協同を罪悪視する雰囲気は色濃く残っています。政官が主導する産学協同には安心して参加するが、大学と企業とのダイレクトな連携には消極的な雰囲気が強い。理由の第一は、日本では、自由主義国家であるにもかかわらず、今なお政官の影響力が非常に強いからです。
伊東乾東大教授によると、日本の大企業は今でも東大卒の学生を優先的に採用するそうですが、その最大の理由は、東大卒の学生を採用すると、官庁の事務次官などと同級生になり、官庁対策に有利になるからだという。JB]Pressに掲載されていたものですが、企業が官庁対策に東大出身者を採らざるをえないほど、今でも官庁の規制は厳しいのかと、いささかショックを覚えました。
政治主導が強まっても、官僚の権限は弱まってはいないというのはなぜなのか。政治主導が強まるると、政権幹部の顔色をうかがっておれば出世するので、公僕である官僚の真の「公」は政権幹部を指し、政権の下僕と化しているのではないか。当然官僚の倫理観も下落、崩落の一途を辿ります。昨今の官僚の異常なまでの劣化、底なしのだらしのなさ、官の権限を行使するだけで公務員としての「公」の完全なる欠落も、その流れからきているのではないかと思われます。
利権と引き替えに、自分の子供の医学部入学を依頼した文科省官僚トップはその後どうなったのでしょうか。退職金など出ない懲戒免職すべきですが、彼はどのような処分を受けたのでしょうか。障害者雇用では民間企業には罰則を与えておきながら、全省庁でごまかしが横行。官(共産党)の力が異常に強い中国や発展途上国でなら起こりそうですが、民主主義国日本で起こったとは、信じがたい事態です。
ごまかした全省庁に民間と同等の罰金を払えと、全国民が命令したとしても、彼らは平然と税金を使って罰金を払うはず。税金を使うなどもってのほか。全官僚と政府の全閣僚と与党がそれぞれの責任の重さに応じて、給与、歳費から罰金総額に達する額を拠出して国庫に納めるべきです。それができないのなら、罰金を払わせた民間企業に罰金の全額を返還すべきです。こうしたけじめも付けずにうやむやにするならば、日本は芯の芯から腐食がさらに進むはず。
欧米では政治家の収賄事件はたまに発生しますが、官僚の汚職、収賄事件などはほとんど見聞きした記憶がありません。なぜ日本では官僚の権限(⇒汚職・収賄)が強いのか。ただアメリカは政財癒着・一体化は国是のようなものですので、単純な比較はできないかもしれませんが、官僚の影は薄いという印象です。政権交代で官僚組織も変わるらしいので、政治の力が圧倒的に強いのかもしれません。民主党もアメリカ流の官僚組織に変えることを提唱していましたが、実現しませんでした。それどころ、民主党政権は結局は官僚の言いなりになったともいわれています。
ところでアメリカは問題山積の大変な国ですが、官の圧力、規制からは自由で、民間の自発性が発揮しやすい国だなあとつくづく感じたWEB記事をいくつか紹介します。
移民規制を強めるトランプ政権下で、急激に人手不足に陥っているアメリカの農業者たちは、この窮状を突破すべく、人手に頼らぬ農業のロボット化に驀進しつつあるという。日本ではまず役所が方針を決めてからということになるはずです。まずお上からのお達しあり。
MITで働く21歳サイエンティストの「腹ペコの野性」#30UNDER30
大学に行かずに高卒で科学者になることを志した日本の少年が、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボで研究するに至るいきさつを紹介したインタビュー記事ですが、肩書きや資格がなくても、仕事(研究)の中身だけで評価するというアメリカの懐の深さを感じさせられます。ラボの所長は日本人の伊藤穰一氏ですが、日本の大学でならば、伊藤氏も同じような対応はとれなかっただろうと思います。
日米対比でいうならば、アメリカでベンチャー企業への投資をしている日本人投資家が、日本ではベンチャーへの投資はやりにくいと語っていましたが、その理由は、日本では研究者と企業との協同は、時に癒着や犯罪だと見なされる危険があるからだという趣旨の話をしていました。日本ではすぐに特捜部が動き、摘発、マスコミも大々的に報道しますからね。日本では研究者も企業も密な提携には慎重にならざるをえません。
最近はだいぶゆるやかにはなってきたとはいえ、1,2年前、京大の薬学系の教授が企業におネダリしたとして、特捜部に逮捕されました。高級旅行鞄を企業におネダリしたそうですが、研究者としては、みっともないといえばみっともないですが、特捜部が動くほどの事件だったのかとの疑問も浮かびます。特捜部お得意の、新規事業つぶしが裏の狙いであったのではないのかとも勘ぐりたくなりますね。
こうした風土の中、治療薬の実現にまで自ら奔走された本庶教授のご苦労は並大抵ではなかったと思われますが、患者の命を救いたいという強い思いと、それを可能にする治療法であるとの強い確信が教授を支えたのだと思います。そして「少数派こそ成果生む」という一貫した研究者としての強い信念は、あらゆる領域で数の多寡だけで評価が決まるという、昨今の短絡的な風潮に対する、強力な批判ともなっています。教授のこの言葉は、当然のことながら、世界大学ランキングという、数に翻弄される愚かさをもあぶり出しているはずです。
わたしは新聞で読んだだけですが、その研究成果はもとより、これほど強い信念をもった研究者がおられたのかと、その生きる姿勢にも深い感銘を受けています。
最後に本題からはずれますが、今度の連休も大型台風25号の襲来で、今週末から始まる連休もつぶされそうです。しかも驚いたことには、アジアパラリンピックが開催されるインドネシアでは、大会寸前に巨大地震に襲われています。インドネシアで、アジアとはいえ国際スポーツ大会が開かれるのは珍しいはず。大会は開催されますので、会場は被災からは免れたようですが、アジアの人々にインドネシアを広く知ってもらえる絶好の機会だったのに、巨大地震に見舞われるとは何という不運でしょう。これも天然自然の災害だといえるのか、疑わずにはいられません。RKBラジオでアナウンサーがタイミングよく、韓国の隠れた観光スポットを紹介していましたが、連休に近場での旅行を計画していた人は、災害知らず、荒天知らずの韓国に行くしか選択肢は残されていません。これも天然自然のなせる業なのか、大いに疑問!