日本の大学の国際競争力を高めるためと称して設立された、10兆円大学ファンド(基金)の運用が始まり、「国際卓越研究大学」としてこの基金の支援を受けるべく、各大学が名乗りを挙げています。しかしこんな愚策で日本の凋落が止まるはずはありません。
1.日本凋落の原因
この10兆円基金の設立は、安倍政権時代の2020年度にスタートしたそうですが、その具体的な運用が始まったのは最近のことです。わたしはまさかこんな愚策が実行に移されるとは想像もしていませんでしたが、先日、マスコミの報道があり、びっくりしてしまいました。
日本の衰退の真の原因を考えない超愚策です。小泉政権下で始まり、安倍政権下で強力に進められてきた大学予算に対する選択と集中を、さらに大規模かつ超強力に進めようというのが、10兆円大学基金制度です。
なぜこの基金が愚策なのか、ネットに公開されている資料を見ながら検証することにします。
まず、各国政府が支出している科学技術予算額の比較を見ましょう。
政府創設「10兆円」大学ファンドの悩ましい課題 超低金利で苦難の船出、安定運用?収益性?
ブルームバーグ・東洋経済オンライン2021/02/10
上記グラフを見ると一目瞭然ですが、日本の科学技術予算は、中国や米国と比べるとかなり低いものの、ドイツと同じぐらい、フランスよりやや上です。
しかし、以下のグラフのとおり、論文数は右肩下がりの凋落一途。
Top10%論文数の各国順位
大学ファンドとは? 大学ファンドの可能性、問題点と今後の課題 2021/12/01 ZUUonline 山本希美(画像引用:文部科学省 大学ファンドの創設について(PDF)
予算規模では、欧州諸国と同等かやや多いにもかかわらず、論文数が激減しているのは、日本政府による予算の配分方法や研究支援態勢に原因があることは明らかです。予算の多寡ではないということです。
政府のその失政の結果を示すデータの一つが、博士課程進学率の世界比較ですが、日本の進学率は右肩下がりの凋落一途。
日本の大学における博士課程進学率の推移
大学ファンドとは? 大学ファンドの可能性、問題点と今後の課題 2021/12/01 ZUUonline 山本希美(画像引用:文部科学省 大学ファンドの創設について(PDF)
日本では、なぜ博士課程への進学率が下がり続けているのかといえば、理由は簡単。博士まで進んでも就職できないからです。
日本の民間企業では、博士課程修了者は余り歓迎されないという特殊事情がある上に、下記グラフで明らかなように、研究者として残る道はさらに険しく狭いからです。
国立大学の40歳未満の任期なしポスト数の推移
大学ファンドとは? 大学ファンドの可能性、問題点と今後の課題 2021/12/01 ZUUonline 山本希美(画像引用:文部科学省 大学ファンドの創設について(PDF)
博士まで行っても臨時職にしか就けず、学費調達のために得た、奨学金などの巨額の借金だけが残ります。博士課程進学者が激減し続けるのは当然です。
十数年前、東大の大学院を出てポスドクを続けているという方から電話をいただいたことがあります。
ポスドクとは、
知恵蔵mini (2019-5-16)」 コトバンク
「ポストドクターの略称。大学院の博士課程を取得した後、任期性の研究職に就いている人を指す。多くは大学の非常勤職員などとして雇用されている。1995年、科学技術創造立国をめざした政府が博士号取得者の量産に取り組んだが、就職の受け皿となる公的研究機関や大学が常勤のポストを増やさなかったことから多くの人が正規の職に就けていない。文部科学省の2015年度の調査では、ポスドクはおよそ1万5千人にのぼっている。」
電話をいただいた方も、博士課程を終了しても、不安定な暮らしを余儀なくされている状況を嘆きつつ、そうした日々をブログに綴って本にしたいとのことでした。
お書きになったら是非拝見したいとお答えしたものの、ちょうど折も折、家賃滞納で事務所移転を余儀なくされており、その移転準備真っ最中のことでしたので、それどころではない状況でした。
しかし東大の大学院の博士でもポスドクを続けざるをえないということは、その悲惨さがどれほどの広がりを見せているかは、容易に想像できると思います。博士だけを大量に生み出すだけで、その行き先は何一つ準備しない。日本の文部行政は無茶苦茶だということが、ポスドク問題からも分かります。
おまけに歴代政権と文科省は、外国人教授を激増させて、日本のポスドクをさらに激増させています。外国人教授の中でもっとも多い韓国人教授たちは無期雇用で安定した日々を送りながら、日本の大学で韓国人の反日的な主義主張を教えています。無茶苦茶な亡国策という以外に表現しようのない教育政策です。
そのあおりを受けて、博士課程まで出た優秀な若者たちは生活困窮状態に追いやられ、子どもを持つことはおろか、結婚すらできない悲惨な状況に陥っています。昨今の人手不足で、糊口をしのぐ職には就けているかもしれませんが、優秀な頭脳を活かす機会は失われたままだと思います。
ところで、博士(=ポスドク)の大量生産策が始まった1995年(平成7年)の総理大臣を調べたところ、自社さきがけ連立政権の村山富市総理でした。文科大臣は自民党の島村 宜伸氏。当然のことながら、自民党政権になっても、ポスドク量産政策は続けられました。
前号のマイナカードと戸籍謄本でご紹介しました、戸籍謄本改竄を可能にした、戸籍謄本のデジタル化を推進したのも、村山内閣で入閣した自民党議員の前田 勲男法務大臣でした。
いずれも亡国の政策です。科学技術創造立国どころか、貧困にあえぐポスドクを大量に生み出しただけ。次に出てきたのが選択と集中。安倍政権時代にもっとも強力に進められました。
選択と集中の対象にならない大学や研究の予算は削られ、期限付きの研究職などに就いていたポスドクたちは、予算調整で大量の首切りに遭っています。一方、潤沢に予算が交付される東大などでは、研究費だけでは消化しきれずに、学問や研究には全く関係のない、非常に高級な机や椅子の購入に予算を充てていたことを、東大の伊東乾教授が暴露していましたね。
選別には不正やゆがみが付きものです。総理のお気に入りの研究には、100億円でもポンと支給するという事例もありました。選択と集中の対象を選定する際には、専門家による委員会の審議を経ているはずですが、おそらくその全てにおいて、政府と官僚が敷いたレールに乗って進むだけだと思います。政策の結果からの判断ですが、おそらく専門家の選定時から結論が決まっているはずです。そもそも昨今の学者たちは、政府の顔色をうかがわざるをえない状況に置かれています。
現在の日本の政治家や官僚には、時代が何を求めているかを判断する能力はほとんどゼロだと思います。その無能ぶりをもっとも端的に証明しているのが、デジタル時代に対応できる人材育成、教育体制の構築ができずに今現在にまで至っていることです。
ただ漫然と博士を増やしり、政治家や官僚が選別権限を盾に大学をふるいにかけたりすれば、「科学技術創造立国」が可能になると考えていたことからも明らかなように、時代の潮流、時代の変化を全くつかめていません。
わたしは、その主たる原因は政治家の無知にあると思っていましたが、つい最近、官僚も政治家に劣らずに心底のバカだという事実を知らされました。
2.新井紀子氏が象徴する現在
先日、NHKニュースに『AI vs.教科書が読めない子どもたち』で一躍有名になった新井紀子氏が出演されたのですが、新井氏が国立情報学研究所社会共有知研究センター長を今も務めておられることを知って、驚愕しました。
日本では、情報学・デジタル分野を統括する国の専門機関がない中では、国立情報学研究所は、その要になる機関ではないかと思います。デジタル庁は発足したものの、現状では、日本の情報技術・デジタル技術を統括する能力のないのは明白です。
国立とはいえ、情報学研所は研究所なので、行政には直接関与することはないはずですが、専門機関として、デジタル分野に関する知見の提供などは当然重要な仕事の一つのはずです。
国立情報学研究所は、現在の日本にとっては、致命的に欠損している情報技術(IT)分野において、専門機関として有効な提言を提供できる、唯一の国立の機関です。その研究所の所長ではないものの、社会共有知研究センター長という専門機関として、日本社会に対して重要な責務を持つセクションのトップを務めていることに心底驚愕しました。
新井氏が、AIの専門家として書いた『AI vs.教科書が読めない子どもたち』は、2018年2月に出版されるや、日本中に大ブームが湧き起こりました。AIの専門家が書いた本だということで、わたしもブームに乗って読みましたが、その感想、批評を以下の、
に書いております。
現物は、引っ越しの後、見当たりませんが、上記ブログにかなり詳しく書いておりますので、是非ご覧ください。
前半3分の1ぐらいは、日本の子どもたちの読解力低下を憂える新井氏に賛意を示しておりますが、後半では、AI専門家としての新井氏に対する疑問や批判を展開しております。素人なりの批評、批判ですが、今読み返しても的は外れていないと確信しています。
AI専門家としての新井氏の何が問題なのかといえば、一言でいえば、AIに対する評価、解釈が非常に雑だということです。上記ブログでは、専門家に対する敬意を示しつつ書いておりますので、こんな乱暴な表現はしていませんが、5年経った今も、新井氏の権威にはいささかの陰りもなく、センター長の地位にも変化がないことを知り、もっとストレートに批判すべきだと考えを改めた次第です。
とはいえ上記ブログでは、抑制された表現ながら、AI専門家としての、新井氏の限界や欠損についてかなり迫真的に突いていると思います。新井氏の限界や欠損はまさに、日本の教育におけるAI・ITの欠損そのものを反映したものだと思いますので、上記ブログから一部を転載いたします。
最大の疑問点は、新井氏はAIをめぐる動きを、あくまでも理論的枠内で考察していることです。理論的枠内とは、数値化可能な情報のみがAIの糧になり、言語に代表されるような数値化できない情報は、AIにとっては未来永劫対応不能だという基本認識に依拠しているということです。新井氏が、シンギュラリティ(AIが人間の能力を超えるという技術的特異点)は来ないときっぱりと断言しているのも、この基本認識によるものです。新井氏が本書で強調しているのは、昨今の風潮として過度に高まっている、まるで万能の神でもあるかのようにAIに抱く過剰な期待は、AIの基本原理を無視した全く根拠のないものだということです。
新井氏のこの指摘は、AIの能力を冷静に理解するには非常に有効なものですが、その一方で新井氏の指摘は、AIに対する人々の興味関心を一気にそぐ、身も蓋もない、いわばぶっちゃけ話の類いだとも言えば言えるるわけです。しかもこのぶっちゃけ話的効果は、われわれ素人のみならず、プロの方々にまで及びそうな厳しさを孕んでいます。
もしも企業や大学などの研究者たちに、本書に書かれているようなAIの限界を容赦なく原理として突きつけたならば、AIに関する新しい技術を開発しようと考えていたり、新しい製品の開発を考えていたとしても、彼らの中に芽生えていた創造への意欲は、一気に萎えてしまうのではないかとまで感じさせられました。原理を無視した創造は創造たりえないともいえるわけですが、不可能を可能とするところにこそ、真の創造や学術的・技術的革新が生まれるのではないでしょうか。
葦の葉ブログ2
AIと教育
新井氏は、AIによって現在ある仕事の多くが奪われることへの対処を、危機感をもって強く訴えています。AIによってもたらされるこの危機を、世界で最初に指摘したのは新井氏であったことも紹介されています。われわれの仕事の大半を奪うAIは、これまで人類が経験してきたいかなる技術革新とも全く異質だとAIの特異性を指摘しながらも、なぜAIがそれほど特異的な能力をもつに至ったのか、そこに関しては新井氏はほとんど触れていません。AIは数値化されたデータを四則計算で処理しているだけの計算機にすぎないという、AIの限界だけが強調されています。
この限界強調にわたしが違和感を感じるのは、このAI認識だけでわれわれ日本人は生きていけるのかとの危機感を覚えるからです。新井氏は当然のことながら、プログラミング教育にも反対しています。日本語の基礎的読解力もない子どもたちに、プログラミング教育なんてもってのほかだというのももっともだとは思うものの、IT・AI登場以降の時代に生きる人間にとっては、プログラミングの基本的知識は、産業界が求める能力であること以前に、世界を認識するための不可欠の基礎知識だと思います。しかもこの新技術は、かつて人類が経験したことのない全く特異な技術であることは、新井氏も含めて誰もが指摘していますし、この新技術を使った機器類や製品はわれわれの生活の隅々まで浸透しています。
新井氏は日本の子どもたちの基礎的読解力不足による学力低下の現実に驚愕するととともに、何とかしてこの惨状を変えたいと心底願い、考えて提言されておられるわけですが、基礎的読解力の回復だけで、AIと対抗しうると考えておられることには非常な違和感を覚えます。新井氏は、AIは今ある仕事の大半を奪い、われわれの生存そのものを脅かしかねないと繰り返し述べていますが、AIがなぜわれわれの仕事の大半を奪うほどの、人間と同等の能力をもっているのか、その不思議さや驚き(人類史を画するAIの特異性)については、少なくとも本書ではほとんど言及されていません。それどころか新井氏は、AIは単なる数値化された情報の塊にすぎないと断言し、AIに対する驚きの芽生えさえ排除しています。これは、新井氏が余りにも優秀すぎる数学者ゆえなのか。
葦の葉ブログ2
AIと教育
AI技術の人類史を画する特異性は、言語的指示を示すプログラムによって動くという点にありますが、それをいわば可視化したプログラミングそのものに触れることなしには、その真髄まで理解することは不可能だと思います。プログラミングの原形は無機的な数字ではありますが、それらの数字が意味するところは言語化できる有意味性を帯びているわけですから、専門家以外は、プログラミングを通してAIの真髄に触れることで十分だろうと思います。プログラミング教育導入の最大の目的は、小中高生全員をプログラマーの卵として育成することではなく、プログラミングの実際に触れて、IT・AIの真髄を理解することに置くべきです。この人類史を画する新技術の小中高での必修化に今なお反対する人々が存在することは、全く理解不能です。彼らは日本の後進国化を望んでいるのではないか、あるいは日本人を無知のままAIの渦の中に放り込もうとしているのではないかとさえ考えてしまいます。
葦の葉ブログ2
AIと教育
新井氏はなぜ人類史に画期をもたらしたAIの意義を積極的に読者に訴えようとはしないのでしょうか。新井氏はそれどころか、AIを必要としているのは、無料でサービスを提供していることから、膨大なデータ処理を安全かつ迅速に行う必要に迫られているグーグルやアマゾンなどのIT企業であり、これらの企業は例外的だという趣旨の指摘もなされています。要するに新井氏は、日本企業や日本人が、AIを使った新規事業を考案したり、AIの新技術を開発したいという意欲をそぐことに力を注いでいるかのような印象すら受けます。
葦の葉ブログ2
AIと教育
非常に長い引用になりましたが、疑問や批判を感じることなく本書を読めば、AIやITには誰も興味を抱かなくなるはずです。新井氏はそれを狙って本書を書いたのではないかとさえ思われます。本書はそんな本です。
新井氏は、AIは所詮、四則計算(足し算、引き算。かけ算、割り算)を繰り返しているだけの数字の塊にしかすぎず、人間なしには何もできない機械にすぎないないと切り捨てる一方、そのAIに仕事を奪われないためには、AIには不得手な読解力(日本語読解力)を高めよと強く訴えています。全く、論旨不明、支離滅裂。
新井氏は、AIに東大入試問題を解かせるプロジェクトを実施したのですが、AIはかなりのレベルまで問題は解けたが、国語の読解が壁になって突破できなかったという。新井氏は、AIは文脈を読むことはできないのでこの壁は突破できないと結論づけ、どこをどうすればこの壁を突破できるのか、このプロジェクトをさらに発展させる方向には進まずに、このプロジェクトは終了したという。
新井氏が向かったのは、日本中の子どもたちや大人たちに、AIに負けないために、AIが不得手な読解力向上の必要性を説いて回ることでした。新井氏は、この時点で、AIの専門家であることを放棄したわけですが、そもそも新井氏は、AIの魅力も威力も感得しておらず、その価値を過小評価することに力を注いできたわけですので、AIやITとは無縁の地平で日本語教育に力を入れ始めたというのは、ある意味必然の結果とみるべきかもしれません。
実は、新井氏が大ベストセラーを出す少し前、AIが単語と単語の関係性をつなぎ文脈を読みとることを可能にする、「自己注意(Self Attention)」という、自然言語(人間が使う言葉)処理に革命をもたらすメカニズムが考案されたという。正確には2017年12月だそうですが、グーグルの開発部門で、インド人技術者が中心になって開発を進めた成果だという。
詳細は以下の記事をご参照ください。
ChatGPTなどの生成AIを生み出した衝撃の論文とは
小林雅一 の意見 • 2023/07/10 ダイヤモンドオンライン・MSニュース
AIの限界ばかりを強調する新井氏が、日本のAI研究機関のトップにいるということが、日本の現在を象徴しているわけですが、最大の問題は、反AIベストセラー本を出して以来今日まで、この反AI(IT)的人物を更迭せずに、センター長に据え続けてきた組織そのものにあります。
国立情報学研究所は大学共同利用機構法人情報・システム研究機構の下部組織の一つです。直近の所長は以下のお二人で、どちらも優れた専門家のようです。
黒橋禎夫(2023年4月~)
喜連川優(2013年4月~2023年3月)
いずれの組織も初めて知ったばかりですので、その活動内容や組織についてはよく分かりません。また、国との関係もその軽重の度合いも分かりません。しかし国立の情報技術(IT)関連の研究所や機構は他にはないはずですので、本来ならば、国にとっても社会にとっても非常に重要な任務を負っているはずですし、上記の両サイトには人材育成も使命の一つとして掲げられています。
しかし昔の科学技術庁のような、政策立案権限や必要な予算の配分もないはずですので、組織の位置としては非常にあいまいな印象ですね。科学技術庁ならば、もっと積極的に政策立案や提言ができるはずですが、研究所にはその権限はありませんね。デジタル庁との関係すらありません。
当初はもっと明確に論を展開する予定だったのですが、色々調べるにつれ、新井氏のような反AI学者が、AI推進セクターの長に留まり続けることを可能にした責任の所在も曖昧です。
唯一はっきりしているのは、日本のマスコミがこぞって、新井氏を時代の寵児のようにもてはやし、日本にとっては、新井氏の反AI活動こそが、今もっとも求められている方向なのだとミスリードに加担しつづけてきたことです。新井氏を批判的に報道したマスコミは見たこともありません。無知ゆえなのか、日本のIT教育の遅れを新井氏ともどもさらに加速させるためだったのか。
しかし、先にご紹介した「自己注意(Self Attention)」メカニズムの存在、そしてその発展形としてのChatGPTの存在は、新井氏に対する強烈な批判になるはずです。
ただ新井氏は、ChatGPTなどの生成AIの出現には驚いたとは言うものの、ご自身の論理の破綻だとは全く認識しておられないのが恐ろしい。
所属先の国立情報学研究所や大学などからも、批判の声は挙がらなかったのでしょうか。マスコミの寵児になっている新井氏を批判することは、タブーだったのかもしれません。マスコミも同様ですが、専門紙誌ですら、批判していません。
そこで、無名のIT技術者ながら、専門家の立場から、新井氏の論理の破綻を詳細に検証している記事を発見しましたので、ご紹介いたします。
新井紀子教授はAIの専門家ではない 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』
Posted on 2018-03-13 学校の勉強しかできないあなたへ
書評: 新井紀子 『AI vs.教科書が読めない子どもたち』
Posted on 2019-11-22 学校の勉強しかできないあなたへ
新井紀子教授はプロフィールで学歴詐称をしている
Posted on 2018-02-20 学校の勉強しかできないあなたへ
東ロボくんは、なぜ失敗したのか 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」批評1(以下、批評が続きます。)ROBOT mind
3.北朝鮮技術者にまで頼る日本
新井氏をめぐる考察で、改めて日本のAIやIT政策の弱点が明らかになりました。専門家中の専門家ですら、先端的研究の進展にはついていけていないこと。しかも今の日本は、そうした遅れた人が批判されずに、権威であり続けていることです。
そんな専門家が、10兆円大学ファンドに応募する卓越大学を選定することが、日本の未来を拓くことになるのかといえば、それは100%ありえないはず。
これまでの選択と集中だけでも、偏波すぎる予算の配分によって、日本の大学の衰退を招いただけであったことは、事実が証明しています。
10兆円大学ファンドでは、恩恵を受ける大学がさらに少数に絞られ、ごく少数の大学にのみ、超巨額の予算が配分されるそうですので、その歪みはさらに大きくなります。
今の日本にとってもっとも必要な教育政策は、こんな歪みをさらに増殖させるだけの政策ではなく、今やAIが人間を凌駕するに至っている中で、全国民がAIやITの仕組みを理解し、日々の暮らしの質を高めるために、これらの技術を使えるような基礎的な知識を身につけさせることではないですか。
混乱が収まりそうもないマイナカード事業の無様な状況を直視するならば、10兆円大学ファンドなぞにうつつを抜かしている暇はないはずです。
この混乱の根本原因は、政府が主導して始めた大事業であるにも関わらず、政府の中にも、一応専門家集団らしいデジタル庁の中にも、この事業の全貌を把握して、段取りを進めようとした人が一人もいなかったことにあると思われます。
全国民を対象にした大事業である以上、各自治体での申請受付からデータ登録に至るまでの全工程において、膨大なデータを遺漏なく収拾登録するためには、どのような仕組みが必要なのか、申請受付時点からの、具体的かつ詳細な検討が必要だったはず。
しかし、その名称からするならば、事業の全体を統括する立場にあるはずのデジタル庁ですら、自らの仕事を、極小の点としてしか認識していなかったことは、混乱と騒動が雄弁に物語っています。
デジタル庁には700人もの職員がいるらしいですが、指揮するトップが適切な指示を出さなければ動けない、動かないということもあったかもしれませんが、デジタル庁は、今回のマイナカード事業においてどのような役割を担なっていたのかさえ不明です。
そもそもデジタル庁は何をするところなのか、その基本すら分からないまま発足したのではないかとさえ思えてきます。
現在のところは、どうやらマイナカード作りが唯一最大の仕事のようですが、この限定された任務でさえ十分には対応できていません。
わたしは、デジタル庁は日本のデジタル事業の全てを統括する任務を負った役所だと思っていましたが、マイナカード事業ですら、全貌を把握することは頭から考えておらず、極小把握しかしていません。
実際の作業現場でのミスも、お粗末すぎます。
マイナカードに別人のデータが登録されるという障害が発生しました。その原因は何かと言えば、スマホでの利用のみを前提にシステムを作り、PC利用は想定していなかったので、PC利用時には、いちいちログアウトしなければ前の人の登録画面に別人のデータが登録されるという珍事が起ったからだ、との釈明がありました。
こんなミスは通常ならありえませんよ。データ登録作業をする際、PCを使わずにスマホだけを使うなどいうことがありうるのか。スマホしかない状況下での作業を想定していたとしたならば、作業をいったいどこの誰に委託していたのか、との疑問まで出てきますね。
デジタル庁は、こうしたお粗末なシステムを把握していたのですか。おそらく把握していなかったのでしょう。それぞれてんでんばらばらにお任せ、デジタル庁は知らないよ~。という状況だったのではないか。
作業の細かい点を問題にしているのは、日本では、デジタル化、デジタル化と言いながら、それをきちんと担える体制や人材がないままで進められているという事実を明らかにしたかったからです。
関東地方には、中国人のIT技術者が多く住む中国人街がいくつかできているそうです。韓国人のIT技術者も、コロナ解禁で大勢訪日しているとのこと、NHKの韓国人特派員がレポートしてました。また、ウクライナ戦争が始まる前までは、日本のIT技術者の派遣事業者がロシアや東欧に事務所を構え、当地のIT技術者に日本のIT関連の仕事を斡旋していたそうですが、戦争勃発で事業者は事務所を日本に移し、オンラインでロシアや東欧の技術者に仕事を依頼しているそうです。
日本では、それほどIT技術者が圧倒的に不足しているということです。人材不足ゆえ、外国人技術者の手を借りざるをえないとはいえ、この実態はほとんど可視化されていませんので、IT人材が不足していると言われながらも、何とか回っているので、IT教育の遅れに対する切迫感が政治家にも国民にもほとんど伝わっていません。
IT人材不足は、北朝鮮にとっては最高のビジネスチャンスです。
北朝鮮IT技術者めぐり、米政府が注意呼びかけ 「身元隠して」求職
2022年5月17日 BBC
北朝鮮技術者、日本のアプリ開発 知人ら不正送金疑い
2022年5月18日 日経新聞
日本企業のシステム開発外注に潜む北朝鮮工作員の影
2022年5月27日 Wedge 山崎文明 (情報安全保障研究所首席研究員)
北朝鮮技術者のアプリ開発、2年前の事件でも仲介サイト使用
2022/05/20 読売新聞
北朝鮮フロント企業をEUが制裁、日本に潜む協力者
2020.8.11 吉野 次郎 日経ビジネス記者
上記の事例は、偶々発覚したものですので、実数はこの何十倍にもなるはずです。
最初に受注したのは、素性の知れた日本企業であったとしても、プログラミングなどの実際の作業は、孫請け。ひ孫請け・・・と外部に委託されることは、コロナ対応システムで証明された歴然たる事実です。その全てが北朝鮮ではないとは思うものの、日本の現状は、北朝鮮技術者にとっては格好の稼ぎ場になっているはずです。
北朝鮮技術者が稼いだお金の大半は、金正恩首領の懐に入ることはいうまでありませんが、IT技術は悪意の工作を仕込むことが可能ですし、悪事へのルート探索の入り口にもなりえます。
欧米では、IT関連事業を日本のように外部に丸投げという事例はまずありえないという。ITの特性を考えると当然ですが、企業にせよ、政府や公的機関にせよ、全て内製だという。
日本では、企業も公的機関も自社内や組織内にI専属のT人材を雇用することはほとんどなく、全て丸投げ。最近は多少は雇用する流れにはなってきているようですが、まだまだ外部委託が主流です。政府のIT人材教育放棄と軌を一にしています。
自社内の心臓部を外部に全面開示して委託することは、考えてみれば非常に恐ろしくも無防備すぎますが、長年、外部に丸投げが当然とされてきた日本では誰もおかしいとは思わない。
しかし、IT化、デジタル化の推進は、基本的には自国で対応可能な状況になってからにすべきであることは、子どもにも分かる道理です。
にもかかわらず岸田総理は、マイナカードの機能の膨張化に驀進しています。カードへの登録情報が増えれば増えるほど、サーバーの容量が増大化します。全国民の情報ですので、保険証や免許証など、一つでも登録情報が増えるとサーバー容量も莫大なものになるはずです。
グーグルにとっては、これほどの上得意はないはずです。岸田総理がマイナカードの登録情報の膨躍に躍起になっているのは、Google奉仕のためではないのですか。
セキュリティもサーバー管理もコーディング(プログラミング)も外国頼み。そんな状況下で、マイナカードの膨張化を進めていいのですか。岸田総理が即刻なすべきことは、、一握りの大学に巨額資金を投じることではなく、全国民にIT・AIの基礎的な原理と、初歩的な実践的な技術、プログラミングの読み書きを学ばせることです。
今や、ChatGPTがプログラミングコードを瞬時に書く時代です。だからこそ人間の側も、ITに関する基礎的な知識と技術を全員が身につける必要があるわけです。
4.安倍元総理銃撃から1年
安倍元総理が銃撃されて、はや1年が経ちました。早すぎたその死を悼むとともに、安倍元総理はなぜ銃撃されたのか、その原因についてもあらためて考える必要があります。
山上容疑者当人の思いはもとより、山上容疑者の背後にいる多数の宗教2世の存在を考えるならば、政府のなすべきことはただ一つ。統一教会に対して解散命令を出すことです。
統一教会は、地方議会や自治体が統一教会の介入を排除していることに対して、不当だとして裁判まで起こしていますが、こうした動きは、統一教会の活動は非常に政治的なものであったことに改めて気づかされます。岸田政権は、統一教会への対応を地方任せにするという無責任なことはせずに、その不法行為を断罪して、即刻解散命令を出すべきです。
また、安倍元総理の銃撃には、多々疑問があるものの、今に至るも未解明です。そもそもこの疑問に関しては公の場で話題にすることそのものがタブー視されていますが、このタブーを突破するこなしには、日本の治安は守れないはずです。